母親の虐待で“全盲になった”31歳女性。現在も「改名前の名前を聞くと身体が硬直します」
教師の手引で一時保護をされることに
だが高校3年生になる直前に、転機は訪れた。希死念慮も濃くなり、風間さんがやつれていく様子を見逃さない盲学校の教師がいたのだ。 「執拗な虐待によってまともに寝かせてもらえなかった私は、高校の授業中に寝てばかりいました。見かねた担任から呼び出され、はじめは説教を受けていました。しかし精神的な極点に達し、涙が溢れ出て、とうとうこれまでの経緯を打ち明けたのです。担任は驚きながらも、私の話を丁寧に聞いてくれました。その日の翌日に東日本大震災が起きたので、特に強く印象に残っています」 事態が動いたのは、それからほどなくしてだった。 「虐待を受けている子どもたちにとって、学校という逃げ場がない長期休暇はこれ以上ない苦痛です。高2から高3にかけての春休み、母からの虐待が日増しにエスカレートするなかで、私は担任に電話を助けを求めました。彼の手引によって、数日内に児童相談所経由で警察がきて、私は一時保護をされることになりました」 非道な仕打ちを受けた母親との離別を「安心した」と語る一方で、風間さんのなかにはこんな感情もしぶとく残り続けた。 「どこかで、私さえ我慢していれば、家族は形を保って来られたのではないかという思いもわずかながらありました。当時はまだ、自分が被害者であるという事実をきちんと認識していなかったかもしれません。虐待について深く学び、そうした事例は往々にしてあることをのちほど知りました」
盲学校内にいた「60歳手前の同級生」に…
結局、児童相談所の一時保護所へ引き取られた風間さんだが、「児童」である18歳を過ぎてからも特例的な措置として里親制度を利用して実家へ戻されないことが決定された。だが当然、元凶である母親から隔離されるだけですべてが解決するはずもない。こんな“後遺症”に悩まされ続けた。 「高卒後、私は同じ盲学校内の専門学部へ進学しました。専門学部は、あん摩・鍼灸師などの資格を取得できる学部です。年齢はみなバラバラで、学齢で進学したのは私だけでした。また年齢だけではなく、目に抱えている問題も異なっており、私のような全盲ではなく弱視などが多かったと記憶しています。 そのなかに、当時60歳手前の同級生がいました。彼はたびたび私を食事などに誘ってくれてご馳走をしてくれましたが、徐々に性的な関係を迫るようになって。最初は拒否していましたが、もともと自分を大切に思えるわけではない私は、彼との関係を続けることに。結局、ご馳走してもらって性的な関係を結ぶという意味において、援助交際と何ら変わらない関係になっていきました」