「史上最も誤解されたスター」マリリン・モンローの電話の相手は現代日本の女子大生?!時空を超えた女性同士の連帯を描いた一冊【書評】
生きていれば、多かれ少なかれ、誰だって演技をしているはずだ。たとえば、女性ならば胸の内では苛立ちを抱えながらも、男性に媚びた態度を取ってしまうことがある。だって、いつだって力を持っているのは男性なのだから、そうしている方が面倒が少ないからだ。だから、それだけで決めつけられたくないなと思う。周囲からの視線と、本当の自分とのギャップに苦しみ、「本当は違うのに」と叫びたいような気持ちを抱えている人は少なくないだろう。
ごく普通に暮らしていてもそうなのだから、演技を生業とする人たちは、日々大きく誤解されているに違いない。『マリリン・トールド・ミー』(山内マリコ/河出書房新社)に出てくるのは、伝説のハリウッドスター、マリリン・モンロー。マリリン・モンローといえば、多くの人がイメージするのは、ふわっとスカートがめくれ上がる映画の名シーン。つい、セックスシンボルとして彼女のことを捉えてしまうが、もしかしたらマリリン・モンローほど誤解されてきた人はいないのかもしれない。本書は、そんなマリリン・モンローの人生と、コロナ禍の孤独な女子大生の日々が、時空を超えて交錯する青春小説。ひとりの大学生の姿を描き出すと同時に、ジェンダー的な視点でマリリン・モンローをひもといていく。「女による女のためのR-18文学賞」でデビューした山内マリコさんによる、女性に希望を与える時空を超えたシスターフッド小説だ。 舞台は、2020年春。東京の私立大学に推薦で合格し、上京してきた瀬戸杏奈がこの物語の主人公だ。時はコロナ禍。入学式も講義もなく、友達も恋人もいない彼女は孤独にさいなまれながら、SNSに溺れる日々を過ごしていた。そんなある日のこと、アパートに持ってきていたプリンセステレフォンが突然鳴り響く。電話を掛けてきたのは、マリリン・モンロー?! SNSでたまたま流れてきた動画の中のマリリンはいつも笑顔で、何も考えていなそうで、誰に何を言われても嫌な顔ひとつしなそうな女性だったのに、電話口の彼女は、自分の身を嘆き、愚痴をこぼす。「毎日カメラの前に立って、なんにもものを知らない女のふりをするの。三度も結婚している三十歳の女なのにね。バカに見えれば見えるほど、男たちは喜ぶのよ」。マリリンの孤独と、コロナ禍で未来が見えない杏奈の孤独は次第に共鳴していく。 と、そんなあらすじを知ると、この作品を「ファンタジー小説」だと思うに違いないが、それはこの小説のごく一要素にすぎない。マリリンからの電話が鳴らなくなった後、杏奈の本当の大学生活は始まる。そう、この作品は、杏奈の成長を描き出す物語なのだ。ジェンダー社会論のゼミに所属することになった彼女は、マリリン・モンローをテーマに論文を書くことになり、杏奈はますます彼女に惹かれていく。本当は内気で、努力家。映画会社が一方的に結んだ契約に屈せず、その改善を求めて声をあげ、独立して個人のプロダクションを設立。全米にヌード写真が出回ると、「恥じてなどいない」と断言し、時に性被害を告発する文章を雑誌に発表することもあった。そんなマリリンの姿を知り、杏奈は思うのだ。「もしマリリンがあともう少しだけ、せめてウーマンリブの時代まで生きてたら、きっと救われたんじゃないかなって。セックスシンボルじゃなくて、フェミニズム・アイコンになってたんじゃないかなって」。 コロナ禍の中、鬱屈としていた杏奈は、マリリン・モンローの人生をひもとくことで、どんどん変わっていく。その成長ぶりは目を見張るもので、物語の最初に感じた幼さは、次第に消え、卒論発表でマリリンについて語る杏奈の姿はあまりにも頼もしい。ああ、だから、研究は、文献調査は、面白い。過去の人の人生を追うことで、自分の人生が変わっていく。どんどん目の前の景色が開けていく杏奈の日々を、この本では鮮やかに追体験できる。 マリリン・モンローが生きたアメリカと、現代の日本。時も国も隔てているはずなのに、この本を読んでみると、それらはどうしてだか似ているように思えてくる。だから、マリリン・モンローの人生に、杏奈同様、私たちも共感せずにはいられなくなるのだろう。女性にとって、この世界はままならないことだらけだ。だけど、時代を超えたって、世代を超えたって、私たちは連帯できるはず。フェミニズムとコロナ禍の憂鬱が入り混じった不思議なこの小説は、きっとあなたのことも勇気づけてくれるに違いない。 文=アサトーミナミ