日産初のFF車「チェリー」が採用した、エンジンの下にトランスミッションを配置する“イシゴニス式FF”とは?【歴史に残るクルマと技術037】
●現在では非常に珍しいイシゴニス式FFレイアウトとは
現在の一般的なFFレイアウトは、発明者の名前をとった“ジアコーサ式”だ。エンジンとトランスミッションを横一列に置き、トランスミッションと一体式のトランスアクスルから左右にドライブシャフトを伸ばして前輪を駆動する。 一方、チェリーが採用したFFレイアウトは、同じく発明者の名前をとった“イシゴニス式”で、トランスミッションとデフを一体化したトランスアクスルをエンジンの下に置く2階建てのレイアウトが特徴。この方式を初めて採用したのはオースチン・ミニ「AD015」で、水平方向のスペースがコンパクトに設計できるのが最大のメリットだが、2階建て構造のために背が高くなり、特殊な構造なためコスト高になるというデメリットがあり、現在はほとんど採用されていない。 1978年にデビューしたチェイサーの後継「パルサー」でもイシゴニス式を採用したが、1981年のマイナーチェンジで一般的なジアコーサ式に変更。以降、国産量産車でイシゴニス式FFを採用した例はない。
若き日の星野一義選手が、”チェリーの星野“と呼ばれてレースで活躍
販売は期待したほど伸びなかったチェリーだが、一方で高性能グレードX1を中心に一部の走り屋には熱狂的に支持され、また日産のワークスマシンとしても数々のレースで活躍した。 1971年10月に開催された富士マスターズ250kmレースのツーリングAクラスで1-2フィニッシュを飾り、当時日産ワークスの大森ワークスに所属していた、まだ駆け出しの星野一義選手がチェリーを駆けて活躍したのは有名である。 他のドライバーがFF特有の挙動に苦しむなか、星野選手はタックインを巧みに使いながらドライブし、“チェリーの星野”として注目された。星野選手は、その後F2やグランドレースにステップアップし、誰もが認める“日本一速い男“の称号を得たのだ。
日産チェリーが誕生した1970年は、どんな年
1970年には、日産チェリーの他にスズキの「ジムニー」も登場した。ジムニーは、軽自動車初の本格4WDオフロード車であり、現在も唯一無二の軽オフローダーとして変わらぬ人気を獲得しているロングセラーモデルである。 その他、日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げ成功、日本初の国際博覧会の大阪万博(Expo’70)が開催、よど号ハイジャック事件が発生、そして日本の呼称が“ニッポン”に統一された。 当時、都市部で光化学スモッグが頻発するようになり、自動車による排ガス公害が社会問題化し、排ガス規制強化の動きが高まったのはちょうどこの頃である。その他、ビートルズが解散し、トミーの「トミカ」が発売、ケンタッキーフライドチキンの日本1号店が名古屋にオープンした。 また、ガソリン54.5円/L、ビール大瓶142円、コーヒー一杯95円、ラーメン100円、カレー150円、アンパン25円の時代だった。 日産として初めてのエンジン横置き方式のFF大衆車「チェリー」。今では珍しい扱い難いイシゴニス式FFながら、俊敏な走りでマニアを魅了した革新のFF車、日本の歴史に残るクルマであることに間違いない。
竹村 純
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