「本当の贅沢とは何か」 赤面症、引っ込み思案…京都の老舗料亭・和久傳の女将を大成させた「お寺修行」の気づき
京都の高級料亭・高台寺和久傳(京都市東山区)は1982年に京都市内に進出すると、2店舗目、3店舗目と拡大し、料亭の味を「おもたせ」として持ち帰れるようお菓子やお弁当の販売も始めました。その後も蕎麦と料理の店「五-いつつ」、朝食営業もする「丹 tan」をオープンさせるなど多様な店づくりへの挑戦を続けています。 高台寺和久傳の女将(おかみ)であり、株式会社「高台寺和久傳」(京都市東山区)の代表も務める桑村祐子さんが和久傳の2店舗目、室町和久傳の開業を任されたのは20代半ばのころ。実は「女将になるのが絶対に嫌だった」という桑村さんは、逃げるようにお寺で2年間、修行をした経験がありました。“逃げ腰”だった桑村さんは、どのように経営者として成長していったのでしょうか──。
【桑村祐子(くわむら・ゆうこ)】 1964年、京都府峰山町(現・京丹後市)生まれ。 大学卒業後に大徳寺の塔頭に住み込んで修行した後、1989年に高台寺和久傳に入社。 2007年に高台寺和久傳の女将、2012年に代表取締役に就任。 2024年に食品の製造販売をする(株)紫野和久傳と、料亭の高台寺和久傳など数店舗を運営する(株)高台寺和久傳、両社の代表取締役に就任。
女将は「絶対に嫌なランキングのトップ」
2020年に創業150周年を迎えた和久傳のルーツは、京都市の中心部から100キロほど北西にある丹後・峰山町(現・京丹後市)の料理旅館にあります。地域は江戸時代からちりめん産業で栄えていましたが、時代とともに衰退。活路を見いだすべく、料亭として京都市内に進出したのが1982年のことでした。 桑村さんは当時18歳。大学に通いながら、帰宅したら着物に着替えてお運びさんをしたり、洗い物の手伝いをしたり、と家業に関わってきました。ファストフード店の時給が450円のころでしたが、「400円でいいやろ、って言われて」と笑います。 当時、女将として店を切り盛りしていた母親の綾さんは、娘から見ても「人間的にチャーミングな人」。センスが良くて、バイタリティーがあって、いかにも「女将」という雰囲気。それに対して、桑村さんは物心がついたときには赤面症で、人前に出るのが苦手。授業中、先生から指名されると「立ち上がったまま真っ赤になって頭が真っ白になる......というような感じでした」と言います。