「酸素飽和測定機を見つめ毎日祈った」肺高血圧症の娘を育てたアスリート女性と「酸素ボンベをつけて毎日登校」した娘のたくましい言葉
── 具体的にはどんなことでしょうか? 森さん:触らなくてもすむように、自宅のインテリアの配置を変えたり、リフォームもしました。触ってはいけないものは手の届かない場所に置くようにして、入ってはいけない所には入れないようにしました。「意見を一致させる」というのは、どちらかが良くて、いっぽうがダメとなると、何が正しいのかわからなくて娘を迷わせるだろうと思ったからです。お父さんとお母さんの役割があると思いますので、バランスよく。とくに小さい時は、私と一緒に過ごす時間が圧倒的に長かったので、私がいなくても主人や両親、仲の良い友人とも過ごせるよう慣らすこともしていました。何らかの理由で、私が家を空けることになっても困らないように。
── おっしゃる通りですね。ただ、ご主人は家にいることが少ないとなると、平等というのは難しいのではないでしょうか? 森さん:そうですね。実際に、主人は娘の幼少期は単身赴任をしていて、月に1回しか帰宅できませんでした。パパとはなかなか会えないけど、私たちのためにお仕事を頑張ってくれてるとわかってほしかったので、新しい洋服やおもちゃを買ったときには、「これはパパが買ってくれたんだよ」といって、「パパ、今日お洋服買ってくれてありがとう」と電話をさせていました。ふだんからパパが近くにいないからこそ、感謝する気持ちを持てる子になって欲しいと思っていました。
■酸素ボンベをつけて登校する娘のたくましいひと言 ── 娘さんはすくすく成長していったとのことでしたが、幼稚園はすぐに見つかりましたか? 森さん:病気を抱えているので、私立の幼稚園じゃないと対応してもらえないだろうと思い一生懸命探したのですが、全敗でした。理由は、肺高血圧症という病気に対する知識や対応方法がわからないし、つねに酸素ボンベをつけているので、もし何かあっても責任が取れないので、と…。 公立の幼稚園は抽選ということもあり、こちらもダメだろうと思いながら区に相談しに行きました。そうしたら、担当の方から「みるちゃんなら大丈夫だと思うよ」と。私たちの住んでいる区では、子どものケアを丁寧にしてくれています。とくに、娘が生まれてからの健康診断などのデータや病状等の引き継ぎがとてもスムーズに行われており、そのおかげで無事に公立の幼稚園に入れました。入園当初は、酸素の扱いや娘との関わり方についての不安があるとのことで園長先生と相談し、しばらくは私も園内に待機していました。少し経って、先生方も慣れてこられ、何事も起こらない日が続いたので少しずつ距離をとるようになりました。