脚本・君塚良一はなぜ『室井慎次』の企画を立ち上げたのか “友人”室井慎次への愛を明かす
「人は死ぬ。だからどう今を生きるのか」
ーー『容疑者 室井慎次』では君塚さんが監督でしたが、室井に対しては強い思い入れがあるのでしょうか? 君塚:大好きです。やっぱりそれは柳葉敏郎さんの魅力ですよね。室井は『踊る』では当初、“悪役”として登場したキャラクターですが、柳葉さんからこぼれ落ちたものが多くて。 僕は萩本欽一の弟子なんですけど、柳葉さんは『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(フジテレビ系)にも出演していて、元々「笑い」が好きな方なんですよね。『踊る』 台本上では、愛想笑いすらも室井は禁止していたので、本当に辛かったんだろうと思うのですが、柳葉さんの穏やかで優しい人情味が滲み出てしまい、それが室井の人間的な魅力に繋がった。役者が演じることで、役が変わって、作家や演出家がその変化に反応して内容を少しずつ変えていくという形で、室井のキャラクターが膨らんでいったのは、面白かったです。 ーー室井が亡くなる場面は映像として映していませんが、これは脚本の段階で決まっていたことですか? 君塚:僕のプロットの段階では「雪の中で倒れている室井の顔」みたいに書いていたけど、監督はそれはやりたくないと。『オットーという男』や『グラン・トリノ』のようにやりたいと言われたので、死の瞬間と死後の姿は映さないで、その後のエピローグを描きましょうとなりました。だから、あのシーンは監督のアイデアです。 ーー当初のイメージでは、どのような場面でしたか? 君塚:雪の中で倒れているものがあって「神々しい光が降り注ぐ」なんて書いてました。「死を見つめる」というのはそういうことだと思ったんだけど、「見つめる」の意味が、本広監督の方が深かった。 ーー君塚さんは室井に自分を投影している部分はありましたか? 君塚:フリーランスなので、それはないですね。青島は当時5歳ぐらいだった自分の息子を見て、こんなふうに駆け回るんだとか、おもちゃの音が聞こえるとそこに走っていっちゃうんだという感覚を参考にしましたが、室井慎次に関しては、亀山さんが打ち合わせや酒の席で包み隠さずに本音で話してくれた上司や会社に対する愚痴や悩みを僕が全部メモして台本の中に入れました。だから、テレビシリーズの時からほとんどの台詞が亀山さんが誰かに言われた言葉なんですよ。本当はこうしたい。部下のためには上の取締役に意見を言いに行かなきゃいけない、「でも言えないんだよねぇ」と亀山さんから愚痴を聞かされて、だったら文句を言いに行く話を作ろうじゃないかって。だから『踊る』は、その時々の亀山さんの現実でもあり、「こうしたかった」というファンタジーでもある。だから亀山さん、今回の室井の最期にはビックリしたんじゃないかなぁ。 ーー今回はどちらかというとリアル寄りですよね。『踊る』は平成の日本と並走した作品ですが、令和になって右肩上がりではない時代が続いているからこそ、今回の室井さんの哀愁が、ものすごい切実に感じてしまうところがあって。 君塚:そうですね。ギリギリ描けたのが、室井が償いとして犯罪被害者たちの子どもたちを育てるという場面で。世の中を変えることではないんだけど、そういう生き方を室井が選んだと描くのが、ギリギリでしたね。やっぱり、今の時代はファンタジーが効かないんですよね。だからダウナーなものになってしまう。60歳の男を見つめていくとそうなってしまうのは仕方がない。だから、パーソナルな映画になってしまったのだと思います。 ーーだからこそ『踊る』シリーズと一緒に年を重ねてきた観客としては刺さるんですよね。『踊る』を観て「仕事とは何か? 組織とはどういうことなのか?」と、考えてきたのですが、今回は『室井慎次』を観て「人はどういうふうに年を取ればいいのか?」と、考えさせられました。君塚さんはどうお考えですか? 君塚:「人は死ぬ。だからどう今を生きるのか」それだけですね。2013年に『遺体 明日への十日間』という東日本大震災を題材にしたドキュメンタリータッチの映画を監督したことで、自分が生きる上での姿勢が明らかになったと感じることがあって。あの震災で亡くなられた方と生き残った方の話を、ずっと何年も取材をして映画を作ったことで、僕の中で死生観が凄く強くなりました。だから、仕事のオファーが来たらそれをやる。気になっていたことがあれば、プロデューサーにも言う。「今、やる」っていうのが僕の生き方になった。今回、室井慎次の現在を考える中で「彼はどういうふうに死んでいくのか?」という意識は初めからありました。 ーー脚本家としては、これからどう歳を重ねていきたいですか? 君塚:僕が最近よく言うのは「情熱はないけど、技術はある」。年齢が上がっていくと感性は当然のごとく下がっていくわけですよ。だから、感性を求めるのであれば、若い作家に台詞を書かせた方がいい。ただ、技術はある。だからスリラーのようなエンターテインメント作品に関しては技術を持っているから、絶対に面白くすると自分の中で決めています。 ーー今回の映画の場合は、感性としては昭和の日本映画を感じるのですが、そこはやっぱり確信を持って描いたという感じなんでしょうか? 君塚:それは技術に裏打ちされた感性のようなものですね。技術は過去の経験に裏打ちされたものですが、一方で過去の引き出しの中にあるものです。僕にとってそれは、中学・高校の時に観ていた日本映画なんですよね。70~80年代の日本映画がダメだった(ジョージ・)ルーカス前夜、(スティーヴン・)スピルバーグ前夜の時代ですが、当時の日本映画が好きだったので、全部、記憶に残っている。観た映画の記憶も含めて、僕は技術と言っているんですが、例えば、復讐に行くシーンを描く時は、ヤクザ映画を何本観てるかで作品の面白さが決まる。それが僕の言う「感性と技術」ですね。
成馬零一