タニタにスノーピーク、東大阪の工場、北陸の伝統産業/同族企業の第2創業、成功者たちとは~入山教授インタビュー全4回の2回目
「第2創業」という言葉を、入山章栄早稲田大学大学院教授が知ったのは10年ほど前のこと。若い承継者が、従来の事業に新しい価値を吹き込み、会社を変革した例が多いことを知った。第2創業への期待を入山教授に聞いた。 【動画】「第2創業」で企業イノベーション。入山教授インタビュー②
◆「タニタ」「スノーピーク」第2創業の成功者たち
――入山先生は「第2創業」の重要性を指摘されますが、なぜ注目されているのですか。 「第2創業」という言葉を知ったのは米国から帰国し、早稲田大学の大学院で教え始めた2013年です。それまでは事業承継についてほとんど知りませんでした。 ゼミ生に社会人がいて、彼が「第2創業」という言葉を教えてくれたのです。 当時から事業承継問題はあり、廃業する会社もある一方で、承継がうまくいき、まさに「第2創業」している例があると知ったのです。 事業承継に成功した企業の多くは、承継者が留学したり、ベンチャーで働いていたりして、家業とは全く違う経験をしていました。 そして、家業を承継したときに「第2創業」が起きています。 家業とは遠いところを経験した若者が、新しい視点を吹き込む。 家業が持っている経営資源と新しい視点とがうまく噛み合い、大ブレークしている会社が当時からすでに現れていました。 ――例えばどこですか? 入山 典型的なのは「エアウィーヴ」や「タニタ」、「スノーピーク」ですね。高反発マットレスで有名なエアウィーブの高岡本州社長は、名古屋大学工学部応用物理学科を卒業し、慶應義塾大学のビジネススクールに進みました。 その後、お父さんが経営する日本高圧電気に入社しますが、叔父さんが経営していた中部化学機械製作所という釣り糸の押出成形機の製造会社に転じました。お父さんの要請で叔父さんの赤字会社を引き受けたのです。 でも、押出成形機を作り続けても未来はありませんでした。 高岡さんは成形機から出てくる絡まった樹脂を手に取り、「この弾力のある樹脂の塊はマットレス材に使えるかもしれない」というアイデアがひらめき、エアウィーヴの生産へと大きく舵を切り、2007年にエアウィーブの販売を始めました。 大学で物理を学び、ビジネススクールで経営を学んだ高岡さんが成形機の会社に新しい視点を注入し、会社が大きく変わりました。まさに第2創業です。 タニタやスノーピークでも第2創業が起きています。 体脂肪計付きヘルスメーターで有名だったタニタですが、その中核商品のヘルスメーターとは切っても切れない健康食品を提供する「タニタ食堂」という新事業を始めたのは、2008年に3代目社長となった谷田千里さんです。 アウトドア用品のスノーピークを変革したのも父を継いだ2代目社長の山井太さんです。 1996年に社長になり、98年に「ヤマコウ」から「スノーピーク」に社名を変更し、国内ばかりか海外にも展開し「The Snow Peak Way」を広げています。 2人とも経営コンサルタント会社や外資系ブランド商社などを経て、家業を継いでいます。