大東駿介が舞台の魅力を語る「妻を失った男性をどう演じるか、役作りから演出家、共演者のみんなと共有して」
◆存在しない役の女優まで呼ばれている贅沢な稽古 稽古では、僕の“某氏”となっている役に名前をつけて、劇中には描かれていない彼の人生を、戯曲の台詞から類推して考えていきました。どこに住んでどんな境遇の人間で、いつ頃、妻との出会いがあり、別れがあったのか。グリーフケアのカウンセラーからは喪失がいくつかのプロセスで進んでいくという話を聞きました。人は「否認」や「怒り」「抑うつ」などを経て、悲しみをやっとのことで「受容」していく。そうだとしたら、彼は今どの段階なのか、そして彼が悲しみに打ちひしがれている“この時間”は、朝なのか夜なのか。 僕は自分の経験から、舞台上の時間設定は、夜の2時くらいを想像していました。ところが、ジョナサンは休日の朝だと言います。眠れない夜よりも、その人と過ごすはずだった休日、なんの予定もない日の朝に人は喪失感をより強く感じるだろうと言うのです。 ある日の稽古には、芝居には出てこない僕の亡き妻役として女優さんも呼ばれていました。彼女との幸せだった時間を演じて、他愛もない日常のやりとりをしました。そして、同じことを全て一人になって演じてみたら、ジョナサンの言う休日の朝の喪失感を容赦なく感じたのです。 20分間の芝居に対して、毎日毎日稽古は3、4時間に及びます。そして、今回の稽古には戯曲の翻訳者である広田敦郎さんも同席されていました。普通の翻訳劇というのは、本国の台本があって、それを翻訳する人がいて、更にそれを解釈する日本の演出家がいて…というものが多い。僕ら役者は、原作者の思いと離れた「又聞きの台本」を読んでいるのかもしれないという疑いがうっすらついてまわっていました。 でも今回の舞台では、広田さんが最初の稽古からずっと参加していて、何かのアイデアや気づきがあった時には、ジョナサンと相談しながら翻訳し直す作業を繰り返してきました。一言一句、大切に検討しながら進めていくのです。これは原作者の当初の思いにかなり忠実な日本語の台本が出来上がっていっているよな、と思いました。この点でも稀有な作品に携われたことに感謝しています。
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