ORCALANDインタビュー『ナワバリロックフェスティバル』開催に向けて「史上最大の挑戦であり、これまでの集大成だと思ってます」
「誰ひとり置いていかないロックバンド」をテーマとして掲げるORCALAND(オルカラント)が11月10日に東京・下北沢ADRIFT&空き地にて『ナワバリロックフェスティバル 2024』を開催することが発表された。昨年はホームである下北沢での基盤をより固めるべく、なんと12カ月連続で主催イベント『ジントリ』を様々なライブハウスで行ったことも話題になったが、この『ナワバリロックフェスティバル 2024』はその発展型であり、結成5周年という節目での集大成にもなっている。今回は改めてORCALANDのバンド像を探りつつ、『ジントリ』で経験したことを踏まえて向かった『ナワバリロックフェスティバル 2024』への思い、またその直前にリリースされる新曲「SPARK」についてメンバー全員にたっぷりと語ってもらった。 【全ての写真】ORCALANDの撮り下ろしカット ――まず、ORCALANDはどういったバンドなのか、というところからお聞きしたいのですが、「誰ひとり置いていかないロックバンド」や「頭を空っぽにして楽しめる音楽を」をテーマとして掲げてますよね。これは最初からイメージしていたモノだったんですか? 大塚祥輝(vo/g) いちばん最初はフワッとしたモノというか。 村田京哉(g) 今とはちょっと違ったかも。最初の方は「歌を大事に伝えよう」みたいなことを言ってましたし。今のテーマは3年ぐらい前から徐々に、って感じでしたね。 大塚 自分たちが作っていったモノの先にあるのは何だろう、となったときに出てきたテーマだったんです。 ――音楽的にはギターロックとして分類されると思うんですけど、ビートにしろ音色にしろ、初期からいろんなアプローチをしていますよね。 おとやん(b) むしろ、初期の方こそ、かもしれない。 村田 僕たちは共通で好きなバンドっていうのもいなくて。最初はやりたい音楽を持ち寄ってやってみる、みたいなところがあったんですよ。いろんなことをやってみたくて。方向性がまとまってきたのも3年ぐらい前からだし。 ――曲を時系列で追っていくとより熱を帯びている感じがするんです。激しくなった、とはまた違うんですけど、そういう空気感が増えているなと思いました。 大塚 そうですね。(1stミニ・アルバム)『Travel Notes』の後、配信シングルを出していったんですけど、その中の「テレキャスター・ヒーロー」はライブを想定して書いたんです。それが自分としてもバンドとしてもかなりハマったな、っていう。その後に発表した(2ndミニ・アルバム)『HERO'S HIGH』は同じような空気感で作っていった曲たちが多いです。僕らのライブは熱量があるってよく言われたりするんで、そういうところがその印象に繋がっているのかな、と思います。 ――また、「テレキャスター・ヒーロー」もそうなんですけど、ユーモア的な要素を曲に入れ込んだりもされますよね。「テレキャスター・ヒーロー」はアニメのオープニングみたいなナレーションから始まりますし、サウンドはオシャレに仕上げているけど「年上のお姉さん」ってタイトルとしてどうなんだろう、っていう曲があったり(笑)。 大塚 そのユーモアの部分は自分がこだわっていて。カッコつけるだけ、っていうのが性に合わないんですよ。クスッとさせるというか、人を楽しませたいし。 こーてぃん(ds) (大塚)祥輝の作る曲のいちばんいいところはそこだと思っていて。カッコいいのにオモロいっていう。それがポップさにも繋がってるところだろうし。 ――活動していく中で転機になった出来事はありましたか? 村田 2021年はターニングポイントとお話しましたけど、8月ぐらいまでは月に4本ぐらいしかライブもやってなかったんです。ただ、10月に下北沢で開催された『旬は巡る。』というサーキットイベントにピンチヒッターとして1週間前に呼ばれて、配信シングルとして「フォトフレーム」を出して。11月に渋谷Spotify O-EASTの『ツタロック』にオープニングアクトとして呼ばれ、「やってらんねえ」を配信で出して。その勢いで12月には14本のライブ、翌年1月に自主企画をソールド、2月に『No Big Deal Records 10th Anniversary Audition』でグランプリを獲得して。その一連の流れが大きかったですね。 こーてぃん 見る景色が一気に変わった気がします。 大塚 伝説の5カ月間です(笑)。 一同 ハハハハ(笑)。 おとやん ホントにそこからだよね。 村田 それまでは数人の前で演奏して、お客さんを呼べないからノルマを払って。お金がないから、帰りも23時半ぐらいに頑張って終電で帰る、みたいなことを繰り返していたんですよ。それが今は、当時に比べて沢山のお客さんがライブに来てくれるようになったし。