「辞表はオーナーのデスクの中にある」長嶋茂雄終身名誉監督、渡辺恒雄氏との信頼の証 訃報に「頭は白紙の状態」
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日午前2時、肺炎のため、都内の病院で死去した。98歳だった。渡辺氏の訃報(ふほう)に接し、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(88)が悲しみのコメントを寄せた。 突然の訃報(ふほう)に、長嶋さんは肩を落とした。朝方、入院先の病院で連絡を受けた。「しばらくは、何が起こったのか、頭は白紙の状態でした」。関係者によると、ひどく落ち込んだ様子だったという。球団を通じ、「古く長いお付き合いで、巨人を離れても沢山(たくさん)の思い出があります。今、何を話せばよいのか、巨人が勝った時の渡辺さんの笑顔しか浮かんできません」とコメントを寄せた。 1992年10月、長嶋さんは第13代監督に就任した。第2次政権へと臨む上で、不安を一掃してくれたのが渡辺読売新聞社社長(当時)だった。低迷した第1次政権から13年、復帰にあたり、励まし、強く背中を押してくれた。「お会いするたびに『巨人軍をもう一度強くしてくれ』と言っていただいた。『巨人人気を復活させてほしい』と。2度目の監督就任の際、消極的だった私に対して渡辺さんは背中を押してくれたんだ」と振り返る。話す時は必ず直立不動。ミスターがどれほど尊敬していたか、その姿勢で一目瞭然だった。 2人の信頼関係を表す騒動が、あの有名な“ガルベス事件”(1998年7月31日・甲子園)。ストライク・ボールの判定に不満を呈し、巨人先発のガルベスが球審にボールを投げつけた前代未聞の出来事だ。翌日、長嶋監督は責任を取って丸刈りにした。同時に辞意を渡辺オーナーに伝えていたという。監督に招いてくれた恩人への、せめてもの償いだった。 「自分がどうしたいかは一切ない。オーナーの意向に従う」。同年以降はそう覚悟を固めた。「辞表はオーナーのデスクの中にある。受理されたら辞めるし、今は預かってもらっている状態なんだ」とは後日談。「それでも渡辺オーナーは優しく見守っていてくれた」と感謝してやまなかった。 長嶋監督は01年シーズンを最後に辞任した。親しい関係者にはこう伝えている。「オーナーが(監督を)やれと言えばやるし、辞めろと言われれば辞める。今でもそのスタンスに変わりはない」。現場を離れても、激励会や燦燦会などで巨人について話し込んだ。2人だけの空間は式典後も続いた。ミスターは「もう一度、ゆっくりお話がしたい」と話していたが、願いはかなわなかった。(水井 基博)
報知新聞社