《ブラジル》記者コラム=ジョブスより幸せ度が高い白寿移民 「私は世界で一番幸せな男です」
激動の人生を送った戦後移民の生き様が伺える味わい深いスピーチだ。表彰式の後、佐野さんに直接に話を聞くと、100歳にしてコンピューターを使い、挨拶原稿もワードで書いたという。「いつもユーチューブをたくさん見ている。特に健康とか食べ物関係」とのことで驚いた。 父が水産業を営んでいた関係もあり、遠洋漁業で有名な焼津で5歳から育ったので、「カツオとかマグロ、桜えびの味にはうるさいよ。ブラジルでは食べられないね、あの味は」と遠い目をした。戦争で招集され東京大空襲を経験して、福島の山奥でアメリカ本土逆襲攻撃訓練中、終戦を迎えて生き残った。父が若いころにフィリピンで事業をしていたので自然と外地を目指した。 当地ではポンタポランでスーパー5軒経営していた時代、毎週サンパウロまでトラックで商品の買い出しに来ていたと聞き、更に驚いた。家族に囲まれながら「子供たちの世話になってありがたい」と笑顔を浮かべた。
眼鏡、補聴器いらずでツカツカ歩く102歳
表彰式で最年長102歳の石川義夫さん(2世、サンパウロ州バウルー市在住)は一番足元がしっかりしており、ツカツカと歩いて賞状を受け取っていた。1922年7月17日にサンパウロ州セラーナ市生まれの2世だ。今回の36人中、8人が2世という点にも感銘を受けた。 健康の秘訣を聞くと「今でも毎日、庭の草取りなど体を動かしている。天理教の『ひのきしん』だよ」と信心の篤さを強調した。「日の寄進」とも書き、「親神様のご守護に感謝をささげるために一日の働きをお供えすること」だという。 娘の酒井裕香さんは「父は何でも食べます。薬も飲んでないし、眼鏡もしません。耳も聞こえます」というので、更にびっくり。聞けば終戦直後、ブラジル伝道庁の初代庁長の大竹忠治郎氏が勝ち組過激派に面会を申し込まれた際、特別な役割を果たしたという。 石川さんは、「大竹庁長が勝ち組に『日本は戦争に勝ったか、負けたか?』と聞かれた際、ボクが勝ち組の人との間に割って入って座ったんです。その時は、なんだかよく分かりませんでしたが、庁長からの信頼感は伝わってきました。後から聞いたら、庁長がもし『負けた』と答えていたら、撃たれるかもという危うい場面だったそうです。でも庁長は察して『日本には原爆が落とされた』とだけ言って、負けたとは言わなかった。そそくさとその人は帰りました」という手に汗握る場面に立ち会った。 102年間も生きていれば、本何冊分もの歴史があると痛感させられるエピソードだ。