88歳の下重暁子が70歳の秋吉久美子に語る、母との関係「大人になってからも母に反発。80歳に近づくと、『母に似てきた』と言われても、嫌ではなくなった」
親を看取る時が訪れたら…どのように受け入れ、それから先の人生を歩んでいけばいいのでしょうか。年月が過ぎても「母を葬(おく)る」ことができないのはなぜか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんが“家族”について語り合った『母を葬る』より、一部抜粋してご紹介します。 【写真】秋吉久美子さんと下重暁子さん、優しい笑顔を浮かべて * * * * * * * ◆もともとは拒絶する人間だった 下重 私は優しい娘ではなかった。今更ながらに思います。その一方で、母は思いやりにあふれ、まわりの人を受け容れる度量のある女性でした。長いこと、似ても似つかない母娘だと思って生きてきたのですが、歳をとってから、 「近頃、お母さんに似てきたわね」 そういわれることが増えてきたんです。 秋吉 下重さんはとってもおおらかだと感じますよ、人を受け容れるという意味で。そうでなければ今回の対談はとても成立しなかったのでは。 下重 そう思ってくださってよかった。もともとは拒絶する人間だったんです。父母との関係性、恋人とのつきあい方にも表れていたけれど、ずっと相手を突き放すようにして生きてきた自覚がある。
◆より身軽に、より自由に 秋吉 好き嫌いが激しいとか、わがままとは違うと思います。ある程度は拒絶しなければ、収拾がつかなくなりますからね。我が道を突き進めないですし、自分に課せられたミッションを果たすこともできなくなってしまう。 下重 それが不思議なことに、自然と変わってきたの。仕事もきっちりこなしてきたし、いまでも厳しい人間であることに変わりはないんだけど、80歳に近づいた頃から、それまで心身を覆っていた「鎧」が外れてきたように感じるんです。 秋吉 より身軽に、より自由になってきた。 下重 それでとってもラクになったの。「母に似てきた」といわれることも、嫌ではなくなった。 秋吉 むしろ、ちょっぴり嬉しい? 下重 嬉しいというのは憚られるけど、母のいいところを認められるようになったのは本当です。 母の自慢みたいな話はしたくないけれど、頭がよくて度胸のある女性でした。愚痴をこぼすこともなかったしね。もしも社会に出ていたら立派な働きをしていたと思います。買い物していても、決断が早くてね。必要なものをパッと選んで、しかも趣味がいい。母は自分の価値観をしっかりもっていたのですね。 秋吉 娘というのは、そういう部分を意外にしっかりみているものですよね。