【解説】今年で100年 近代史の生きた遺産「犀川大橋」の歴史に迫る
テレビ金沢NEWS
市川 栞キャスター 「北國新聞論説委員の野口強さんとお伝えします。よろしくお願いします。きょうはどんな話題でしょうか。」 北国新聞論説委員・野口 強さん 「金沢市の犀川大橋が、今年完成から100年を迎えます。」
市川 「2年前には一足早く、浅野川大橋が100年の節目となりましたね。」 野口さん 「犀川大橋もまた、人やモノの往来を支えてきた金沢の近代史の生きた遺産です。この節目に、二つの大橋を通じて流域がつながり、活性化していこうという機運も高まってきました。今日のテーマは、こちら。」
『犀川大橋100年金沢の近代史刻む』 「犀川大橋は、加賀藩祖・前田利家公が架けた木造の橋が最初で、何度も川の氾濫で流され、大正になってコンクリートにしましたが、これも集中豪雨で橋脚に流木が当たるなどして崩壊しました。」
「それではと、1924年に鋼鉄を「W」の形に組んで強じん化する工法を取り入れました。」
市川 「橋脚をなくし、水流のダメージを受けない構造にして、現在に至っています。」 野口さん 「基本的な姿・形は変わっていないんですが、変わったのは地肌のお化粧で、鉄骨の塗り替えを5回行っています。最初はねずみ色、次が薄いカーキ色、さらにクリーム色、黄緑色、水色と、ほぼ10数年のサイクルで色が変わって、2008年に、現在の青緑のグラテーションに落ち着いた。その都度、検討委員会などを開き、市民の意見も聞いて決めてきたそうですが、色一つとっても、犀川大橋が景観に与える影響の大きさが分かりますね。」
市川 「あたたかい印象、さわやかな印象など街の印象がかなり変わりますね。」 野口さん 「1つ目の、目からウロコです。」
『あの行列も通った金沢の南の玄関口』 「これは1958年(昭和33年)の百万石行列の風景。北國新聞の夕刊に載った写真です。もともとはモノクロですが、AIなどを使って、カラーで当時の風景を再現しました。この時代は、野町も行列のコースになっていて、片町方面へ進む利家公の行列の後ろには、犀川大橋の重厚な鉄骨が見えます。写真は、行列の後方で、橋の前に路面電車が差し掛かるレアな瞬間をとらえていて、熱気あふれる一帯のにぎわいを映し出しています。」 市川 「中でも大橋は、巨大な門のような存在感を漂わせていますね。」 野口さん 「昔も今も変わらない、まさに「金沢の南の玄関口」の風格がありますね。金沢を代表するもう一つの川、浅野川が「女川」と呼ばれるのに対して、犀川は「男川」と言われますが、川の個性に合わせるように、浅野川に柔らかなコンクリートの橋、犀川には硬質な鉄橋が架かったのも、うなずけますね。」