伝統文化と新しい魅力が共存 奈良・ならまち 軒先の「庚申さん」、映えメニューのカフェ 関西の路地
ならまちで生まれ育った南さんだが、メーカーの会社員だったころは、転勤で全国各地を転々とした。それぞれに良さはあったが、身に染みたのがふるさとの良さだった。
「貴重な文化財があちらこちらにあり、住人と当たり前のように共存している。こんなところはほかにない」。生まれ育ったならまちへ恩返しをしようと、脱サラして戻り、平成22年には館長を引き継いだ。
庚申さん関連のほかにも活動内容は幅広い。地域の子供たちを招いてかつてならまちで使われていた生活民具を紹介したり、同館を拠点に学生と社会人がさまざまなテーマについて意見交換を行うオンラインフォーラム「ならまちリーグ」の開催に携わったり。
南さんは「若い人たちには、身近にある地域の宝に気づいてほしい。そして、地域のよさを自分たちで発信できる人になってほしい」と力を込めた。(江森梓)
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■時代に合わせて発展
「ならまち」の歴史をひもとくと、時代ごとにさまざまな形で発展を重ねてきたことが分かる。
奈良市によると、奈良時代に平城京の「外京(げきょう)」と呼ばれる地域を中心に町が形成されたのが始まり。都が京都に移ると平城京は荒廃していったが、多くの寺院を有していた外京はその後、門前郷として独自の発展を遂げた。
徳川幕府が成立した慶長8(1603)年前後に実施された町を画定する「町切り」で、このあたりの町の総称として「奈良町」と呼ばれるように。奈良の商業の中心地として栄えた。
戦後は近鉄奈良駅周辺の開発とともに閑静な住宅地へと変化。一方で昭和50年代以降、地元住民らによって町並み保存の機運が高まり、平成に入ってから、市は一帯を都市景観条例に基づく「奈良町都市景観形成地区」に指定した。
ちなみに、ならまちは「奈良町」と表記されることがあるが、市では江戸時代の旧市街地全体を奈良町、このうち元興寺の旧境内を中心とする地域をならまちとしている。