清原はなぜ道を外れたか? 問われる元所属球団の指導責任
西武、巨人、オリックスでプレーした清原和博(48)が覚せい剤の所持容疑で逮捕され、野球界に大きな衝撃を与えた。詳しい動機や、いつから、どういう経緯で覚せい剤に溺れていったかも、まだ明らかになっていない。だが、2年前に週刊誌で覚せい剤疑惑を報道され、関係者の間では「逮捕のXデイ近し」の噂が流れていた。その報道に伴い、芸能活動や野球評論の活動を休止。プライベートでも亜希元夫人とも離婚し、刺青を入れるなど、明らかに生活が荒れ始めた。 昨年3月に行った四国のお遍路参りの契機に、大手芸能事務所のバックアップを受けて、再びテレビ出演や名球会イベントに参加するなど活動を再開していた最中の逮捕劇となったが、清原は、いったいいつ人の道を外れてしまったのか。 清原の入団と入れ替わりで、西武監督を辞めていた元巨人OBの広岡達朗氏は、「“清原が悪かった”で片付けるような問題ではない。野球人には一人も悪い人間はいない、というのが私の考え。PL学園からプロの世界に入った未成年の清原を教育してこなかった球団、指導者の責任がある」と、強く訴える。 「球団がプロ野球選手とは何かを清原に教えていなかったのだ。つまり、プロ野球選手の責任やルール、社会的な役割を清原に教え、若いうちにしっかりとした人間形成、教育を行っておくべきだった。そういうものは中学、高校というアマチュアでは教えられないもの。球団、指導者がグラウンドでの結果と野球の力だけを優先させてスターである清原を甘えさせてきたことが今回の事件の背景にあると思う。まだ未成年の選手を預かった球団と指導者には、選手としてだけでなく人間としても立派に育てるという責任がある」 PL学園時代に桑田真澄氏と共にKKコンビで全国制覇。1988年のドラフトでは、巨人を希望していたが、巨人は、桑田真澄を1位指名。“大人の裏切り”にあった清原は、阪神、中日、南海、西武、日ハム、西武の6球団競合の末、西武に入団した。鬱憤を晴らすかのように、開幕第2戦でプロ初アーチを放つと、1年目の最後は、クリーンナップに座り、高卒新人の本塁打記録である31本、打率.304、78打点で新人王を獲得。そこから一気にスターダムの道を駆け上がった。当時の監督は就任したばかりの森祇晶氏だった。 森氏は、広岡氏が敷いた管理野球と対照的な自由な指導方針を貫き西武の黄金期を作った。だが、広岡氏からすれば、その前任者否定の指導方針に欠けていたものがあったゆえ、清原が29年後に人の道を外れたのではないか?と感じるのだ。 「清原は巨人に移籍してからは、打たねばならないというプレッシャーのきつい環境に置かれ、体を大きくすることに走った。結果的に巨人を追い出され、あっちへ行き、こっちへ行きという流れでオリックスで引退したが、多少なりとも、西武の後の所属球団にも指導責任は出てくる」と広岡氏。