米国のジャンクヤードで出会った廃車 40選 前編 朽ちていく半世紀前のアメ車たち
フォード(1941年)
第二次世界大戦中の不安定な時期に発表された1941年型フォードは、新しいデザインを導入していた。1942年のモデルイヤーに再登場したものの、米国の自動車工場が軍用トラック、戦車、飛行機、ジープ、兵器の製造に重点を移したため、短命に終わった。1946年に再開し、1948年まで製造された。
フォード(1949年)
1948年、フォードは戦後初の完全な新型車を発表した。創業者ヘンリー・フォード氏の死後、初めて導入された完全な新車である。1949年モデルとして発表されたこのクルマは、ホイールベースとドライブトレインのみを先代から引き継ぎ、ゼロから再設計された。スラブサイドのスタイリングから「シューボックス・フォード(靴箱フォード)」と呼ばれ、大衆に好評を博し、フォードは再び販売台数トップの座に返り咲いた。
フォード・マスタング・コンバーチブル
この1990年代初頭のフォード・マスタングLXコンバーチブルのフロントフェンダーの慢性的な腐食を見てほしい。フロアパンにも同じことが言えそうで、それがそもそもサルベージヤードに行き着いた理由だろう。 1979年から1993年まで製造された3代目マスタングは、16年間という驚異的なロングランを続け、販売台数260万台を記録した。
AMCアンバサダー(1966年)
この1966年型アンバサダーの特徴的なフロントフェンダーはまったく腐食しておらず、素晴らしいコンディションを保っている。他の部分も同様で、多くのパーツが良好な状態である。 1966年、アンバサダーはランブラーの名を捨て、AMCアンバサダーとして知られるようになった。このリブランディングは高級路線に移行するための戦略の一環であり、結果的にはうまくいったようだ。1966年の販売台数は前年比7000台増の7万1000台に達した。
ザスタバ・ユーゴ
このザスタバ・ユーゴGVLが、今後も収益を上げられると考えたヤードの楽観主義には感服せざるを得ない。何年もここにあるにもかかわらず、スペアパーツはまだ1つも出てないようだ。簡単に言うと、このような低価格の欧州車はあまり愛されていないのだ。 ユーゴは旧ユーゴスラビアで製造され、1985年から1992年の間に米国に輸入された。14万1651台が販売された。
AUTOCAR UK(執筆) 林汰久也(翻訳)