米国のジャンクヤードで出会った廃車 40選 前編 朽ちていく半世紀前のアメ車たち
エドセル・ペーサー(1958年)
1958年はエドセルにとって最高の年で、6万8045台が販売された。しかし、ボディスタイルが18種類も用意されていたため、個々のモデルが大きな販売台数を記録することはなかった。ペーサーの2ドア・ハードトップは売れ筋の1つであったが、販売台数はわずか6717台であった。 1959年、ペーサーはエドセルのラインナップから外され、全体の生産台数は4万7396台に落ち込んだ。
アウディ100LS
フォルクスワーゲンの子会社アウトウニオンが開発した初代アウディ100は、1968年から1976年まで生産され、販売面で成功を収めた。車名は1.8Lエンジンの馬力にちなんでおり、当時のアウディブランドで最も成功したモデルとなった。 この4ドア・セダンのLSは、クーリーに到着する前に激しく破損したようで、ガラスがなくなっている。しかし、どうにかテールライトは生き残った。
リンカーン・コンチネンタル(1941年)
この1941年型リンカーン・コンチネンタルはあまり部品も残っていないが、その存在だけでも注目に値する。サルベージヤードで見つけるのは本当に珍しい。最高出力120psの4.8L V12エンジンを搭載し、当時としてはまずまずのパフォーマンスを誇った。 0-97km/h加速は約18秒、最高速度は160km/hに迫った。この年に販売された1251台のコンチネンタルのうち、このような2ドア・クーペは850台であった。
シボレー(1951年)
この1951年型シボレーがヤードにやってきた当初は、木は生えていなかったようだ。時が経つにつれ、左側の木がクルマに食い込むように成長し、側面のへこみが大きくなっている。 1951年は米国の自動車産業が困難を迎えていた時代だ。朝鮮戦争のために金属が軍に優先され、自動車の生産は制限された。クロームの製造工程からニッケルが取り除かれ、錆の進行を早めることにつながった。このバンパーはあまり劣化していない。
シボレー・コルベア・モンツァ
社会運動家ラルフ・ネーダー氏は著書の中で、シボレー・コルベアを「どんなスピードでも安全ではない」と評したことで有名だが、フロントガラスやヘッドライトがなければ、この評価に同意したくなるだろう。しかし実際には、同時代の他車と比べて安全性に劣っていたわけではない。 ダッシュボードの状態から判断するに、この1963年型コルベア・モンツァは何年も昔にガラスを失っていたと思われる。