元スタンフォード大教授の小島武仁「若いうちからやりたいことなんて見つからない。迷走するのが当たり前」
「マッチング理論」と「マーケットデザイン」で著名な経済学者の小島武仁だが、現在に至るまで、じつは“寄り道”の連続だった。東京大学経済学部を卒業後、ハーバード大学経済学部に留学し、同大学で博士号を取得。さらにスタンフォード大学で教鞭をとるなど、経歴だけを見れば非の打ちどころがないように感じる。 だが、そんな輝かしい経歴の裏に隠された小島の「迷走時代」を、東大経済学部時代の同期で日本銀行決済機構局FinTech副センター長の鳩貝淳一郎が、親しい間柄だからこそ突っ込める「質問力」で聞き出した。 鳩貝淳一郎 小島さんの出身は東京ですよね。 小島武仁 東京の立川です。家の近くに畑があるような郊外で、公立の小学校・中学校に通い、のんびり育ちました。中学生の途中から成績が伸びたので、自分は勉強に向いているんじゃないかって思っていたんですよね。そのあと、高校(筑波大附属駒場高校)や大学(東京大学理科一類)に入ってから苦労することになるわけですが……。 進路については当時は情報がなかったので、とにかくいろいろな本を読みました。「勉強ができる人」というと弁護士というイメージが強かったので、とくに意味もなく六法全書を買って読んでいたこともあります。それを見た姉が、いきなり興味を狭めすぎだと心配して家族会議の議題にまでなって。 鳩貝 早い段階からどういう方向に進むのか、ということを意識していたんですね。 小島 意識はしていたんでしょうが、その後はひたすら「迷走」していたようなものかな、と思います。
手先が不器用で実験的科学をあきらめる
鳩貝 小島さんが理系に進むことにしたのは、お父さんが農学者だったことも影響しているのでしょうか? 小島 両親ともに影響を受けましたが、おそらく、その点については父の影響が大きかったと思います。父は僕が中学2年生のときに亡くなってしまいましたが、よく科学っぽい実験をしてくれたことを覚えています。10円玉をお酢につけるとキレイになるとか、そういう類のものです。僕がレモンタブレットのような酸っぱいお菓子が好きだったので、ビタミンCの試薬を買ってきてくれたのですが、面白がってドサッと口に入れたら酸っぱすぎて耐えられなくなったりとかして。 高校では生物部に入ったんですけど、僕のせいで飼っていたカエルが死んじゃったんです。それで、幽霊部員みたいになっちゃって。でも、やっぱり科学に対する憧れがずっとあったので、大学でも理系に進みました。 大学入学後は、米国で一番読まれていた分厚い生物学の教科書も頑張って読んだりしたんですが、大学でやる実験では相変わらず失敗ばかりしていて。僕は生まれつき本当に手先が不器用なんですよ。たしか、水銀やカドミウムのような重金属が入っている溶液があって、これをいろいろな試薬を使ってわけてみましょう、という実験でした。そこで、ヤバそうな重金属が手にベトッと引っかかって「うわぁ」とパニックになりかけ、慌てて隣の同級生に「助けて」と叫んだら、彼女は彼女で着ていた白衣がなぜかボワッと燃えていて……。 それで、「自分には実験は絶対無理だ」と確信しました。高校生の時点で実験系の科学に向いていないことに気づいていればよかったのですが、大学でようやく思い知ったんですね。 鳩貝 若いときってそういうものなんじゃないでしょうか。もちろん、「自分の道はこれだ!」みたいなものが最初から決まっていて、一生やり続けるという方もいるとは思いますが。 小島 そうですね。とくに若い頃は自分が何に向いているのか、何が好きかなんてわからないので、いろいろ試してみることが大事ですよね。 間違った方向に進んでいるとわかったときはすごく落ち込むし、僕はかなり遠回りをしました。でも、いま振り返ってみるとこうした遠回りや挫折は必要だったなと思うこともあるんです。この迷走が必要だったんだな、と。 先ほどの「六法全書」事件で家族会議になったとき、父が「そんなに心配することない」「どうせ興味なんて変わっていくんだから、好きなことをやらせておけばいいんじゃないか」って言ってくれたことをよく覚えています。まさにその通りに動いた結果の回り道なわけですが、父の言葉にはそれも含めていいじゃないかと言ってもらえている気がして、支えられた気がします。 鳩貝 まだ、経済学には出会っていないですね。 小島 まだまだ迷いは続いていて、実験の多い自然科学ではなく、数学を志したこともあります。でも、数学でも周囲に圧倒されて、打ちのめされましたね。 鳩貝 小島さんはその当時のことを、以前ご自身のコラムで「まあ、簡単にいうと、挫折した」と書いていますね。「僕が大学に入った頃には、同級生はすでに入学時から大学院の数学までマスターし、なんでも知っているように見えた」と。 小島 そうですね。あと、負け惜しみみたいに聞こえてしまうかもしれませんが、僕が数学の「美しさ」にあまり魅力を感じなかったということもあります。数学の教科書には定理や証明はたくさん書いてあるけど、なんでこの証明をしたいのか、といった「気持ち」のようなものは書いていない。ただひたすら素敵な綺麗な数式が出てきて、できる人たちが「美しい」ということを言っているんですけど、それは僕の関心とは少し違いました。 鳩貝 純粋数学の持つ美しさに涙が出るほど感動する人もいれば、社会問題の解決に数学を用いることに喜びを感じる人もいる、ということですね。 小島 そうですね。前者と後者の両方あっていいわけですが、多分そういうことなんだと思います。結局、僕も数学を使って経済学の理論を証明していく、応用数学者みたいな仕事をしているんです。でも、僕が経済学で楽しさを感じるのは、現実の経済の複雑なメカニズムを簡単なロジックを使ってモデル化できる、というところなんですよ。