元スタンフォード大教授の小島武仁「若いうちからやりたいことなんて見つからない。迷走するのが当たり前」
数学ができないから化学に逃げる
鳩貝 「自分は数学に向いていない」と悟った瞬間はあったんですか? 小島 同級生の天才ぶりに圧倒されてビビっていた一方で、自分は数学ならやればできる、という変な自信のようなものがあって、きちんと授業に行かなくなってしまって。それで、成績も悪くなり、単位をぼろぼろっと落とし──。いまでも、どうしてそうなったのかわからないんですけど、数学で自信を失いつつあったとき、「数学はできないけど、俺にはきっと化学の才能があるんだ」と、突然思ったんです。 そんなときに、大学の生協で、1000ページぐらいある米国の化学の教科書が目に飛び込んできて、「よし、俺はこれをテスト前に読破しよう」と決心して読みはじめたんです。すると次第に「いま俺、1000ページの英語の本を読んでるぜ」という感覚が湧いてきて、どんどんハイになって試験当日の朝まで読んでいたんですけど、すごく疲れて寝ちゃったんですよ。それで目が覚めたら、夕方になっていて留年確定……といった、漫画のような出来事もありました。 鳩貝 駒場の生協でその分厚い本が目に入ったとき、天啓のように感じちゃったんですね。映画のワンシーンのようですね。 小島 そうです。「呼ばれた、俺は!」みたいな(笑)。その本の罪なところは、理論的な話が延々と書いてあって、実験をしなくてもいい雰囲気が出ていたんですよ。だからこの本をマスターすれば、俺は理論化学者になれる! という勘違いをしちゃって。 鳩貝 数学から全力で逃げているんだけど、その逃げた先が「1000ページの化学の教科書」っていうのがすごいですね(笑)。 小島 「おいおい、そっちも行き止まりだぞ」と、昔の自分に言ってあげたい。 結局、留年するわけですが、そのときはあまり大変なことだと考えていなかったんです。19世紀の数学者ガロアもアインシュタインも、学生時代に挫折したという話があるじゃないですか(若干誇張された話だそうですが)。偉大な学者と比べるのもおこがましいのですが、自分も留年くらいなら大丈夫だと楽観的に思っていたんですよ。父が早くに亡くなり、我が家は経済的にも厳しかったと思うので、いま考えると母には感謝ととても申し訳ない気持ちでいっぱいになります。(続く) ひたすら「迷走」していた小島は、どのようにして経済学と出会うことになったのか。第2回へ続く。