フランスでもトルコでも日本でもない…世界中を旅した作家が「世界一うまいパン」と出会った意外な国
■なぜパンの幸福は特別なのか たまらずおじさんに歩み寄り、照れ笑いしながらもう一度指を一本立てる。おじさんも笑いながらバゲットを渡してくれる。バターを塗って蜂蜜を垂らし、かぶりつく。バリッと音が鳴って皮が散る。甘味がもくもく膨らんでくる。ダメだ、やっぱりとまらねえ! 「アラーイラハーイラッラー」 石焼き芋の売り声のような「アザーン」が突然モスクから鳴り始めた。礼拝を呼びかける肉声の放送だ。入国して最初に聞いたときはあまりの大音量に肝をつぶしたが、そのうちアラブという異世界にいることを実感させてくれる心地よいBGMになった。 アザーンで現実世界に引き戻され、まわりを見渡した。頭からすっぽりかぶる民族衣装を着た人々が、露店市に積まれた野菜の中を行き交っている。地面に頭をついて礼拝している人たちがいる。家やモスクが夕日を浴びて、黄金色に染まっていた。 パン売りのおじさんは僕と目が合うと、はにかむように微笑んだ。僕も笑いながら再び温かいパンをかじる。香ばしさと甘味が口内に広がり、顔のしまりがなくなっていく。午後の光のような、あふれる恍惚……。 パンの幸福が特別なものに思えるのは、酒と同じように、その土地の水と大地の実り、そして文化が結実したものを、体に取り込んでいるからだ――。 異国情緒がとりわけ強かった国モロッコで、焼きたてのパンをかじりながら、はっきりとそう感じたのだった。 ---------- 石田 ゆうすけ(いしだ・ゆうすけ) 旅行作家 1969年、和歌山県白浜町生まれ。東京在住。高校時代から自転車旅行を始め、26歳から世界一周へ。無帰国で7年半かけ、約9万5000km、87カ国を走る。帰国後、専業作家に。自転車、旅行、アウトドア雑誌等への連載ならびに寄稿のほか、国内外での食べ歩きの経験を活かし、食の記事も多数手がける。世界一周の旅を綴った『行かずに死ねるか! 世界9万5000km自転車ひとり旅』(幻冬舎文庫)など著書多数。全国の学校や企業で「夢」や「多様性理解」をテーマに講演も行う。 ----------
旅行作家 石田 ゆうすけ