ランカーにTKO勝利した村田は世界へ近づいたのか
あの鮮烈デビューした村田はどこにいったのか? デビュー戦で現役の東洋太平洋王者をKOで下したが、ここ2試合は、KOシーンを演出できない、消化不良のファイトが続いて巷では“村田劣化説”が流れていた。もちろん村田の耳にも、その情報は入っていた。彼の胸の内を大きく動かしたのは一人のファンの言葉だった。前回の試合後に西麻布のライブハウス「新世界」で行われたトークショー「緩くて深いボクシングナイト」で、娘の連れ添いで初めてボクシング観戦をしたという30代か40代かのご夫人から、村田は、こんな奇妙な激励を受けた。 「この前は引き分けの試合で残念でした。次はKOを見せて下さいね」と。つまりボクシングをあまり知らないファン層から見ればKOシーンのないプロの試合は引き分けに見えるのだ。 ショックだった。 リングを降りると、一人のマニアとして辛口評論をしている村田が、天に唾を吐くようなボクシングを知らないうちに己自身がしていたのだ。 「守りに入っていたのかもしれません。ミドルなので、やはり打たれるのは怖い。プロのダメージは半端ないですから。それをどこかで恐れて行くことを忘れていた。本来は、南京(南京都高校の略で、現在は、京都廣学館高校に改名)出身ですからね(笑)。殴り合い。根本はそこですから」 この日、入場シーンには、いつもの笑顔がなかった。 相手は初の世界ランカー。そして自らに科していたKO決着。言うならば、肉を切らせて骨を断つボクシングをどこかで決意していた。彼が悲壮な顔つきになるのも無理がなかった。 帝拳の本田会長は「体力、ガード、右のパンチという村田が世界に通用するものが全部出た試合。次は夏か秋に100パーセント海外で、さらに上のレベルとやる。ミドルで世界戦をやるには海外で試合をして挑戦者の資格をとりにいかねばならない」という青写真を口にした。 本場ラスベガスで村田の名と実力をアピールしなければ、ボクシングのビジネスマーケットの最先端にあるミドル級での世界戦の実現は近づかない。陣営では、早ければ夏に行うラスベガスでのテストマッチを世界前哨戦と位置づけていて、タイミングさえ合えば開催場所にこだわらず、タイトル挑戦を実現したい構え。狙いは、WBOのアンディ・リー(英国)か、ジャーメイン・テイラー(米国)の逮捕事件で現在空位となっているIBFのベルト。村田も、いよいよ世界挑戦のチャンスが近づいていることを理解していてリング上で「今年は勝負の年にしますよ」と公言した。