「表現の不自由展」中止問題 津田大介氏が会見(全文1)海外作家から不満の声
2015年の「表現の不自由展」に感銘
まず、最初のきっかけは2015年の冬に東京で「表現の不自由展」という民間のグループ展が開催されました。これ日本の公共機関、パブリックセクターにおいて、言論の自由や表現の自由が非常に脅かされているのではないかという強い危機感から開催された企画展です。公立美術館ですとか、あるいは非常に公共性の高い場所で展示が不許可になった、あるいは展示が撤去された作品を、その撤去された理由とともに展示をするというコンセプトの展覧会でした。僕はこの2015年の「表現の不自由展」に、一観客として訪れて強い感銘を受けました。 その2年後、僕が「あいちトリエンナーレ」の芸術監督に選出され、企画を考えているうちに、この2015年に見た「表現の不自由展」を、「あいちトリエンナーレ」という場所でやりたいと思いました。「あいちトリエンナーレ」の、この企画を考えるキュレーターたちとの会議で「表現の不自由展」を「あいちトリエンナーレ」でやりたいというふうに僕が提案したのは2018年の5月です。そこからさまざまな議論、そして具体的に、じゃあ進めましょうということになって「表現の不自由展」実行委員会のメンバーだった永田浩三さんに最初はコンタクトを取りました。具体的にこれ、話が進みだしたのは2019年、今年の1月に入ってからです。「不自由展」の実行委員会の岡本有佳さんとまずミーティングをして、その後「不自由展」実行委員会の5人とミーティングをして企画を進め、7月31日の内覧会で実現するに至りました。 そして7月31日から起きたことをダイジェストで、報道で振り返りたいと思います。まずは、「あいちトリエンナーレ」は8月1日から開催されるんですけれども、1日前の7月31日に内覧会が開かれます。その内覧会が行われる31日の朝刊で、朝日新聞と中日新聞で、この表現の不自由展が大きく報道されました。このことが報道されてから、事務局にはまず抗議の電話がかなりの本数来ました。この31日の夜は前日ということでレセプションのパーティーが開かれました。このレセプションではもともと文化庁の方が来賓として来てスピーチをする予定だったんですけれども、この報道を見てか、理由は分からないんですけれども、突然キャンセルになりました。