「マツ」思い指導者の道…天皇杯Vの神戸・吉田監督、戦う姿勢重視
東京・国立競技場で23日に行われたサッカーの天皇杯全日本選手権大会決勝で、J1・ヴィッセル神戸が5大会ぶり2度目の頂点に立った。チームを昨季のリーグ初制覇に続く主要タイトルに導いた吉田孝行監督(47)は、亡き友への思いを胸に指導者の道を歩んできた。 【写真】松田直樹さん 1999年元日、クラブ消滅が決まっていた横浜フリューゲルスに所属していた吉田監督は、自身の決勝ゴールで天皇杯を制した。「負けたら終わりという重圧の中、一日でもみんなと長くという思いだった」と振り返る。
フリューゲルスが吸収合併されたJ1の横浜F・マリノスでともにプレーしたのが、2011年に急性心筋 梗塞こうそく のため34歳で亡くなった元日本代表DF松田直樹さんだ。松田さんとは同じ1977年3月14日生まれで、「本当に特別な存在だった」という。ピッチ外でも多くの時間をともにし、互いの悩みを打ち明けた。 2011年8月2日、松田さんは当時所属していた松本山雅FC(現J3)で練習中に倒れた。神戸でプレーしていた吉田監督は同4日、同僚だった宮本恒靖・現日本サッカー協会会長らと長野県松本市に向かう途中で、 訃報ふほう を聞いた。その2日後、浦和レッズ戦で2得点し「マツ(松田さん)が決めさせてくれた」と喪章を天高く掲げた。
監督となり「マツならどんな指導者になっているか」を常に考えてきた。松田さんは厳しい言葉もいとわずチームを鼓舞し、一丸で戦って勝利することにこだわった。今、吉田監督は相手の特徴やデータをつぶさに分析しつつ、それ以上に戦う姿勢を重視。スター選手でも先発メンバーから外すこともある。 「ポリシーは勝つこと。どうやったら勝てるか。そこで妥協はできない」。その姿勢は松田さんから学んだ。この日、選手は90分を通して気迫のプレーを続け、優勝を勝ち取った。「みんながやるべきことをやってくれた。全員で取れたタイトル」と天皇杯を掲げた。