森永卓郎、岸博幸に感じた「余命の差」が生む余裕、日本経済停滞の「原因」については意見が一致
今回の対談で、私がある意味でいちばん知りたかったのは、岸さんが1985年8月12日に起きた日本航空123便の墜落の原因を知っているのかどうかということだった。 私は、墜落の責任をボーイング社にかぶってもらったことで、日本がアメリカに何も言えなくなってしまったことが服従の源流だと理解しているが、岸さんは墜落原因について「何も知らなかった」と答えた。 直接聞いているので、岸さんはウソをついていないと思う。もしかしたら、官僚の間では墜落原因は周知の事実なのではないかと私は疑っていたのだが、123便事件の処理が、ごく一部の政権中枢だけで行われたことがよく分かった。
なお、日本航空123便の事件に関しては、拙著『書いてはいけない』(三五館シンシャ)と『マンガ 誰も書かない「真実」 日航123便はなぜ墜落したのか』(宝島社)をお読みいただきたい。 ■自分がやりたいことをやって生きていくことが重要 日本の経済社会が行き詰まるなかで、今後、私たちがどのように生きていったらよいのかというビジョン。この点については、2人とも、組織に隷属するのではなく、自分がやりたいことをやって生きていくことが重要だという意見で一致している。しかし、具体的な方法論は、大きく異なる。
岸さんと話していてすぐに気がつくのは、この人は「都会人」なのだということだ。 実際、ファッションもおしゃれだし、都心のマンションに住んで、たまに八ヶ岳の別荘に出かけて自然や地元の人たちとのふれあいを楽しむというライフスタイルは、多くの人にとってあこがれの老後生活だろう。 ただ、その暮らしを実現するためには、相当な資金が必要なことも事実だ。 ■それぞれが実践する「まったく別次元」の世界 そもそも、官僚をなめてはいけない。同じ年に生まれた世代のなかで、数万人に1人くらいの才能がないと官僚にはなれないのだ。
実際、岸さんの能力はとてつもなく高い。ソフトな語り口でやさしく語ってはいるが、その背後で、脳内のコンピュータが猛烈なスピードで演算を積み重ねている。その能力に基づく稼ぐ力が、岸さんの将来ビジョンを支えているのだと思う。 一方、私の提案する、資本主義と距離を置く「トカイナカ暮らし」は、決しておしゃれではない。畑で泥まみれになり、太陽光パネルで電力をまかなう暮らしは、都会のキラキラした暮らしとはまったく別次元の世界だ。
ただ、その暮らしに必要なコストは低く、誰でも実現することができる。 もうすぐ日本の経済社会は、必ず行き詰まる。そのときに自分がどのように生きていくのか。残された人生をどのように過ごすのか。 岸的生き方か、森永的生き方か。みなさんに問いたいのは、みなさんのビジョンと、そこに向けての覚悟なのだ。
森永 卓郎 :経済アナリスト、獨協大学経済学部教授