プロ野球の多様性を拡げ、交流を深めるインターリーグ、交流戦
インターリーグ、交流戦はなぜ始まったか?
MLBでは1994年からサラリーキャップ制度やFA権の拡大を巡って選手会がストライキを行い、野球人気が下落した。 これに危機感を抱いたMLBでは1997年からインターリーグを実施するようになった。 リーグ側は半信半疑で実施したが、ファンが「新しい対戦カード」ができたことを歓迎し、観客動員は前年の6016万5727人から6323万4442人へと増加した。 NPBでは1960年代から読売ジャイアンツが圧倒的な人気となり、巨人戦のテレビ中継は高視聴率を稼いだ。このためセ・リーグ各球団は巨人との対戦試合での「放映権収入」をベースとするビジネスモデルができていた。 巨人戦がないパ・リーグは多くの球団が赤字で、親会社の補填によって球団を維持していた。 1980年でいえばセ・リーグの観客動員は1032万2000人、パ・リーグは579万7500人と、観客動員の面でも大きな格差ができていた。 パ・リーグはMLBに倣って「インターリーグの実施を」とたびたび働きかけていたが、セ・リーグ側は「巨人戦の試合数が減る」ために頑なに拒んでいた。 しかし、2004年の球界再編騒動が起こると、新たなセ・パ両リーグの体制を構築する際に「交流戦」を実施することが決定された。 その背景には、プロ野球の地上波での放送が激減し「巨人戦の放映権」を基本とするビジネスモデルが崩れつつあったこと、さらにはセ・パ両リーグで地域密着型のマーケティングが盛んになり、パ・リーグの観客動員も増加したことがある。 2004年までNPBの観客動員数は実数ではなく「球団発表」であり、500人しか入っていなくても球団の裁量で2000人と発表するなど、数字は正確ではなかった。このために、交流戦導入前後の観客動員の変化はわからない。 しかし2005年に両リーグで1920万2488人だった観客動員は、2023年には2579万2294人と34.3%増加している。少なくとも「交流戦」は、NPB興行を行う上でマイナスではなかったと言えるだろう。