「ゴジラ-1.0」にも登場…昨年7月についに一般公開された、現存する「国内最大級の戦争遺跡」の全容
今に残る旧航空隊施設
受付をすませて旧航空隊施設を見ていくと、まず目に入るのがコンクリート造りの旧鹿島空本部庁舎だ。航空隊の本部庁舎が当時のまま残されている例は数少ないから、当時を知るうえでも貴重な遺構である。ただ、長年放置されたままだったため、中に入っても「廃墟」感がすごい。いずれ整備されるだろうから、いまのうちにオリジナル状態を見に行った方がよいかもしれない。廃墟ではあるけども、2階にある司令室の天井だけほかの部屋と意匠が違ったりしていて興味深い。 本部庁舎の裏には士官烹炊所(士官用台所)跡。ここは何年か前まで木造の建物が残っていたが、崩れて失われてしまったという。いまは石の流し台にその面影をとどめている。 士官烹炊所跡の先には、士官浴場跡。ここも建物はなくなっているが、浴槽のタイルが残っているのでそれとわかる。 ここから霞ケ浦の方向を見ると、雑草がぼうぼうに生えている地上演習場跡の向こうにボイラー室と煙突がある。ボイラー室も煙突も、比較的よい状態で残されていて、ボイラーには「昭和十四年製」の文字がはっきりと見て取れる。その先には、屋根が骨組みだけになっている自力発電所跡。さらにその先に小さな丘があり、そこに登れば鹿島空跡の全体が見渡せる。 5月下旬に私が行ったさい、栃木県在住の著名な大戦機研究家であるS氏が草刈りをしているのに出遭った。聞けば毎週、ボランティアでここの草刈りをしているのだという。草刈りをしながら、金属探知機や棒を使って地中を探すと、錨のマークの入った旧海軍のマンホールの蓋など、さまざまなものが出土するそうだ。本部庁舎には、S氏が発掘した当時の遺物も展示されている。 さらに歩いて霞ケ浦に出ると、コンクリートの広いスロープが湖面に向かって伸びているのが見える。これは、水上機を陸上から湖面に下ろし、また湖面から引き上げるための滑走台である。スロープに沿って歩くと、湖面に突き出した石組みの上に、丸い何かを取り外したような跡が見える。ここにはかつてカタパルトが設置され、水上機のカタパルト射出訓練が行われていた。戦艦や巡洋艦に搭載される水上機は、基本的にカタパルトから射出されるから、そのための訓練は必須だったのだろう。 カタパルト跡から道は右に折れる。こちらにも水上機の滑走台のスロープがあり、さらに当時のままの防波堤が残されていて、ここは戦時中、荷揚げ港として使われていた。さらに道なりに歩いてゆくと、鹿島海軍航空隊の記念碑と、当時のままの厳重な鉄扉が印象的な軽油庫がある。軽油庫からはスタート地点の自動車車庫の裏側が見える。つまりこれで、現存する鹿島空跡の敷地を一周したことになる。所要時間は約1時間、じっくり見るなら数時間はほしいところだ。