私の最果てゴルフ体験談、世界の果てまでイッテGolf!【アラブ首長国連邦・キューバ・南アフリカ・エクアドル編】
交通手段が飛躍的に発達した現代では、情報も簡単に手に入るようになり、地球はかつてより小さく感じられる。今まで一番遠くでプレーしたのは、と思い浮かべると、意外やそれほど遠くなかったりもする。2024年8月13日号の「週刊ゴルフダイジェスト」では、9名の著名人に「今まで一番遠かったゴルフ場はどこでしたか?」と問いかけている。その中から、高須クリニック院長の高須克弥氏と写真家の長濱治氏の体験談をお届けしよう。
高須克弥「緑のコースよりも気に入りました」【アラブ首長国連邦・ドバイCC】
ドバイに行ったのはテレビCM制作のためで2007年のことです。おそらく一度は見ていただいたことがあると思いますが、ヘリコプターに乗ってドバイの高層ビル群の上を飛ぶCMです。
ドバイにもエミレーツGCやドバイクリークゴルフ&ヨットCなどのコースが、活気が出始めて話題になった時期でもありましたが、私が興味を抱いたのはもっと昔からある砂地のドバイCCです。 見渡す限りという表現が最適と思われるほど、あたり一面は砂漠で、そこにティーイングエリアがあり、後はグリーンまで草一本生えていない砂のままです。 当然、グリーンも砂で造られていますから、グリーン表面をならす箒が置かれ、パットの前に必ずならして打つわけです。 かつて青木功プロにパッティングの極意を訊ねたところ、「ピンに向かってヒールで打つ」、そして「オーバーしたらどれだけ曲がったか跡で分かる」。グリーンの表面が砂ですからボールの軌跡が残り、ラインが分かるわけですね。
長濱治「コースまでは遠かったが人の心は近かった」【キューバ・バラデロGC】
1980年代半ばにゴルフを知り「こんな面白い遊びはない」と、ハマりました。当時私は、ドキュメンタリー、ファッション、コマーシャルなどの撮影を中心にしていましたが、ゴルフを始めたことから被写体としてのゴルフの写真を撮るようになりました。 そんな時期に作家の北方謙三さんと「どこか旅をしたいね」となり1985年~1986年頃キューバに行くことになりました。
北方さんは作家アーネスト・ヘミングウェイのファンで、キューバ葉巻の愛用者でもあり、社会主義国ながら楽天的なキューバに興味を抱いていました。かつて米国デュポン社が所有していたバラデロGCはカストロ政権下で閉鎖されプレーは不可でしたが、4年後に、吉川英治文学賞、角川小説賞の受賞歴のある冒険作家の田中光二さんと訪れた時、ゴルフ場へと復活していたんです。田中さんもヘミングウェイのファンで「キューバで『老人と海』の場所を見たい」と言っていましたので一緒に出かけたわけです。 バラデロGCのクラブハウスは、かつてデュポン家が所有していたもの(提供/長濱治) バラデロは増える観光客のためにゴルフ場として再開され、経済封鎖されているキューバにとって貴重な外貨収入源として活用されていました。