26年ぶりにル・マンへ戻るメルセデス。きっかけは新パートナーからの問い合わせ「賭けてみようと思った」
メルセデスAMGのカスタマーレーシングの発足以来、初となるメディア関係者とAMG首脳陣との懇談会が、AMGの本社があるドイツ・アファルターバッハで行われた。 【写真】ル・マン24時間が行われるサルト・サーキットでのオフィシャル集合写真。合計人数は2500人にも上る 通常の各種レースではサーキットでのインタビューや囲み取材の機会を提供しているメルセデスAMGだが、年末恒例のカスタマーレーシングの表彰パーティ『Champions United(チャンピオンズ・ユナイテッド)』へのメディア招待および、それに絡めたメディア懇談会は意外にも初開催とのこと。AMGやHWAのファクトリーツアーも含めた盛沢山の内容で、ごく少人数のグループのなか非常に和やかな雰囲気で実施された。 1999年のル・マン24時間レースにおいて、ピーター・ダンブレック駆る5号車メルセデス・ベンツCLRが宙を舞ってから26年。トップカテゴリーではないが、メルセデスAMGがふたたびル・マン24時間に復帰するというプレスリリースの発表に、世間の関心は大きく高まった。この日、メルセデスAMGのカスタマーレーシングのトップを務めるステファン・ウェンドル氏が、同発表の以降初めて公の場で語った。 ――LMGT3クラスが新設された2024年からの参戦を希望し、ACOフランス西部自動車クラブ/FIA国際自動車連盟と交渉を重ねるもル・マンへの復帰は叶いませんでした。しかし、その大きな失望の一方で突如と沸いた2025年の出場権を獲得した裏にはどんなドラマがあったのでしょうか。 ステファン・ウェンドル(SW):本当にごく短期間の間にさまざまな出来事が起きた。 今シーズン年の最終戦後、バーレーンでルーキーテストが開催されているときに、私のもとへアイアン・リンクスから連絡があり、非常に慎重に注意深く「GT3マシンを早急に一台手に入れることは可能性だろうか?」という問い合わせが入った」 SW:「なぜかと尋ねると、もしも可能ならば、ACO/FIAのWEC用のホモロゲーションを取得するプロセスにチャレンジしたいというものだった」 SW:「AMGとしては、WECにLMGT3クラスができると知ってから、そのスタートラインに立てることをどれだけ望み、願い続けただろうか。しかし、昨年のACO/FIAとの交渉で大変な失望をする結果となり、私たちのル・マンへの夢は閉ざされたと思っていた。とくに2024年はAMGがル・マンから撤退して25年目の年で、私たちAMG、ル・マンそしてファンにとっても区切りのよい記念の年の“リデビュー“を強く希望していたのだが、どうやら先方にとってはヒストリーよりは別のプライオリティがあったようだ」 SW:「GT3マシンは世界中のあらゆるレースで参戦できるマシンではあるが、ACO/FIAのWEC用のホモロゲーションを取得することがどれだけ困難なことかは、AMG独自で2024年の参戦へ向けて精力的に動いていたときからの経験で理解をしていた。それだけに、この短期間で手に入れたル・マンへの出場権に賭けようと思った。アイアン・リンクスの示してくれたパッケージは本当に紳士的で非常に信頼置ける内容だったので、早急に社内で話し合い彼らとのタッグに賭けてみようと思ったんだ」 ――アイアン・リンクスとの提携は急にかなり駆け足で決まったかと思いますが、現在の社内やチームとの雰囲気はどのような感じなのでしょうか。 SW:「まずはAMGとアイアン・リンクスはACO/FIAのホモロゲーション取得のプロセスの準備に着手している。片付けるべき作業や手続きが山のように積み上がっているが、社内は活気とモチベーションに満ち溢れている」 SW:「互いに流暢な英語を操れるがゆえ互いのコミュニケーションは非常にうまくいっていると思うし、このような大きなプロジェクトを前に同じ目標に向かってモチベーションに溢れていているので、イタリアとドイツのタッグはよいコンビネーションとして機能するのではないかと感じている」 ――2月のカタールで開幕するWECや直前のプロローグテストには、26年ぶりにメルセデス・ベンツのマシンがグリッドに並ぶことになるのですね。 SW:「開幕戦カタールのスターティンググリッドに立つことを第一の目標に全精力を注いで準備を重ねているが、ホモロゲーションの取得を含め、各種手続きがもしも間に合わない場合は2戦目のイモラから参戦することになるだろう」 ■AMGに移籍加入するマキシム・マルタンとの縁 ――過去にはアストンマーティンに所属していたこともありますが、その前後にはBMWに所属していたためBMW色が強いマキシム・マルタンが長年のライバルであるAMGへ移籍することになり、驚いたかたも多いと思います。 SW:「私は前職のシューベルトモータースポーツのチームマネージャーの前にはBMWでエンジニアとしての職務経験があり、担当をしていたレースの中には以前に欧州で大々的に行われていたMINIチャレンジも含まれていた。マキシム(・マルタン)と初めて出会ったのは2005年に開催されていたMINI Unitedだった」 SW:「一般的なレーシングドライバーは幼少期からカートやポケットバイクから始めるが、彼の場合はそのようなベースは一切なく、MINIが初めてのレースであり、そこですぐに頭角を現してチャンピオンに輝いた。光る原石に誰もが一目を置いていたよ。当時、マキシムはレースを始めたばかり、私も若い新米エンジニアだった時代で、現場では互いによく話もしたし、双方が成長しキャリアを積んでも変わらず友好関係が続いていた」 SW:「私がBMWやシューベルト時代には何度も彼との仕事を望んでいたが、私の担当をしていた車両に彼がドライブすることは叶わなかった。それが20年もの時を経てAMGでやっと叶い、26年目ぶりにル・マン24時間レースに出てくる(メルセデスの)クルマのステアリングを彼が握るのだから、(人生は)わからないものだ」 ――マルタンとの交渉はいつごろ始まったのでしょうか。 SW:「契約に関しての話し合いの時間は非常に短く、実際に互いにコンタクトを取ったのはマカオグランプリ(11月15~17日)の後だった。お互いの目指すものやフィロソフィーをオープンに話し合ったのだが、旧知の仲であったことで双方がすぐに理解し合い、一緒に挑戦してみようということになった」 SW:「WEC/ル・マンの出場権、そしてマキシム・マルタンの獲得……どれも短期間で予期せぬ幸運が降り注いできた。本当に何が起こるかわからないものだ」 SW:「年明けにはアイアン・リンクスのメンバーが、アファルターバッハにテクニカルトレーニングを受けに来る予定だ。彼らにとっても私たちにとっても、他のシリーズの準備もしながら慌ただしい日々を過ごしているよ」 [オートスポーツweb 2024年12月29日]