透析患者には「緩和ケア」がなく、行き場がない…多くの人が知らない、「透析患者」はどのように死を迎えているのか
「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、がん患者以外は「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 【写真】「がん以外の患者の死」は今後ますますおざなりになるという信じがたい未来 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫(林新氏)。その壮絶な最期を看取った著者が記す、息をのむ医療ノンフィクション、『透析を止めた日』(堀川惠子著)が刊行された。 『透析を止めた日』は、これから透析をする可能性のある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人だけでなく、日本の医療全般にかかわる必読の書だ。 本記事では、〈「がんで死ねるのは幸せだ」…「透析患者の死」はタブー視され、死の臨床に生かされない「異様な現実」〉につづき、透析患者の終末期について見ていく。 ※本記事は堀川惠子『透析を止めた日』より抜粋・編集したものです。
「死因」よりも「死にざま」を
そのドクターは、眉間に苦悩の皺を寄せ、吐露するように言った。 「終末期の透析患者さんから入院したいと言われて病棟に打診すると、担当からイヤな顔をされるんです……。透析患者には行き場がない、緩和ケアがないからです」 2024年6月、横浜で開かれた日本透析医学会。末期腎不全患者への緩和ケアをテーマにしたワークショップで、慶應病院血液浄化・透析センターの医師が、会場からの質問にそう漏らした。終末期の透析患者の看取りが、いかに厳しい仕事かをうかがわせる場面だった。 たとえ病院から歓迎されなくても、自宅から通院透析ができなくなった透析患者の多くは、入院するしか選択肢がない。血液透析を行うには、透析器という特殊な装置と、それを扱える人手と技術(看護師と技士)を必要とするからだ。透析医学会の調査では、透析患者の10人に1人が入院しており、社会的入院の一形態になっている。 入院した透析患者は最後、どんな風に死を迎えているのか。これまで透析業界で患者の死に関する全体像が表に出ることはほとんどなかった。 リサーチを続けるうち、2019年、「維持透析患者の死亡時の状況についての検討」という論文が発表されていたことが分かった(『日本透析医学会雑誌』52(6))。タイトルに「死因」ではなく「死亡時の状況」と記載されているのが目を引いた。 執筆者は、富山・黒部市民病院(414床・維持血液透析約150人)の吉本敬一医師。富山県透析医会副会長を務める腎臓内科医だ。黒部市は人口約4万人だが、吉本医師の病院には日本内科学会認定の腎臓専門医が4人いて、かなり充実した医療体制が取られている。 吉本医師らは2004年から14年4ヵ月にわたり、院内で死亡した180人の透析患者の死亡時の状況を詳細に分析した。調査期間が長く、かつ対象人数のボリュームも大きい稀有な研究である。 まず吉本医師に対面でお会いして、話をうかがう機会を得た。穏やかな口調で語る、やわらかな空気をまとうドクターだった。 ──なぜ透析業界のタブーに切り込むような調査を手がけたのですか。 「一言でいえば、愛です。患者さんへの」 まさかこの取材で、愛、という言葉を聞くことになろうとは思わなかった。 取材に同席した草切幸看護師長は、吉本医師の発言に目をうるませている。愛、の中身をもう少し詳しく聞くと、「透析患者の終末期に注目してもらうため」という。吉本医師は、緩和ケアを行っている自院でも、透析患者が緩和ケアを受けることができないという現実に疑問を抱いた。さらに直接の動機をさかのぼれば、2009年ころになるという。 「腎盂癌を患った60代の患者さんがおられましてね、最後は本当に苦しみながら透析をまわしました。寿命だってもう1ヵ月あるかないかという状態なのに、透析をまわして、苦しんで、またまわして……。自分たちはいったい何をしているんだろうって、これでいいんだろうかと。終末期の患者さんに自分たち医療者は何ができるだろうかと考えたとき、まずは現実を知らないといけない、そう思ったんです」 地方の基幹病院は、科学的な研究では大学病院にかなわない。最先端の臨床技術では、大規模な有名病院が勝る。しかし黒部市民病院では維持透析を行っており、かつ市内で唯一の急性期医療に対応する総合病院であることから、透析の導入から終末期まで一貫して患者を診ている(療養病床はない)。その特性を調査に生かせると考えた。 吉本医師の分析を見ていこう。死亡患者180人の平均年齢は、73.3±10・6歳。死亡場所は院内が81.7%(147人)。転院など院外死18.3%のほとんどは、救急で別の病院に搬送されて死亡したケースで、在宅看取りが行われた症例はわずかに2件しかなかった。背景には、「終末期、自宅から透析へ通うことが困難となり入院する患者が増えること、自宅での看取りは透析の見合わせと密接に関連するが、その受け入れが難しいことが考えられる」とする。 院内死の多くが、重篤な急性期疾患を発症するなど、要介護度の高い高齢者だった。さらに院内死の89.1%、約9割が1ヵ月以内に看取りが想定される終末期の患者で、ほぼ看取りのための入院であった。 死亡症例のうち維持透析の中止が行われたのは36人(20%)で、その多くは終末期、医師が透析続行は困難と判断し、患者や家族に説明をした事例だ。医師の判断に先んじて透析見合わせの意思を表明したのは15人に過ぎず、患者自ら終末期における事前意思を表示していた症例は6人だった。「これでは、患者本人の終末期の透析に対する考えが十分に反映されているとは言い難い」。 透析見合わせから死亡までの期間は平均7.9±12.1日で、中央値は3日、最頻値は2日だが、38.8%の症例で透析見合わせの当日あるいは翌日に死亡していた。ほとんどの患者は終末期に「心肺蘇生措置(CPR)」が行われることは希望しないと事前指示書に明確に意思表示をしているにも拘らず、透析は死亡直前まで行われていた現実が明らかになった。吉本医師はこう指摘する。 近日中に死亡する蓋然性が高い終末期患者であっても、多くで死の直前まで透析が行われていた。しかし、診療録を省みると、透析患者が終末期、苦痛なく過ごし、尊厳ある死を迎えるには、より早期の透析見合わせが望ましかったと考えられる症例も少なくない。終末期患者の透析を見合わせる適切な時期については、今後、より深く議論されるべきであろう。 さらに、死亡時に認知症を有していた患者は35.6%に上った。認知症患者は誤嚥性肺炎などさまざまな疾患で入院する機会が多いため高数値になったと吉本医師は推測するが、近年、血液透析ではシャントの過剰血流(ラージシャント)により認知機能を低下させる事実も明らかになっている。的確な判断を下せない患者の透析をいつまで続けるのか、透析の現場が困難な環境に置かれていることがうかがえる。 吉本医師は、これらの問題を解決する一助として、病期を問わず、患者の終末期のあり方について、患者、家族、多職種からなる医療チームが話し合い(ACP:advance care planning)、その内容は適宜、見直しが行われねばならないとする。また透析を担当する医師が「かかりつけ医という立場から」、将来、患者にとって避けられない死について、終末期に至る前から話し合うことが望ましいとくくった。 終末期にどこまで透析をまわすかという見極めは、簡単ではない。吉本医師も、医療者にとって生命維持装置と同義の透析を止めるハードルはとても高いという。透析を止めて訴えられたら、殺人罪で訴追される恐れもある。それでも、日々接する透析患者の終末期の姿は仕方ないものと見過ごしておけなかった。 「透析患者さんの中には、わがままな人もいるし、栄養の指導をしても聞いてくれない人もいる。でもね、みんなもう、十分頑張って、十分苦しんでいるんです。生活上の制約があって何年も、何十年も、たくさんのことを我慢しながら生きている。透析に来る、それだけで頑張っているんです。それなのに人生の最後まで、亡くなるギリギリまで透析に苦しみながら死んでいかないといけないなんて、辛いですよ」 日本透析医学会では毎年、国内で膨大な定点調査を続けており、しっかりした統計を持っている。透析患者の死について医学的な「死因」は詳細に調べるが、死に至るまでの様子は明らかにされてこなかった。 吉本医師は、自院での研究は前例のない内容になったと自負している。しかし、反響は意外にも思ったほどではなかった。一般に「薬」が絡む案件は、製薬会社の後押しがあって専門家向けのプロモーションや講演も多くなり、議論も研究も報道も盛んになる。しかし、終末期の透析患者の看取りは「薬」ことに「新薬」との関係が乏しい。乱暴に表現すれば、もうからない。新薬とつながらないことが、議論が活発にならない理由のひとつだろうと吉本医師は推測する。 「ひとり、ひとりの患者さんが、生まれてから死んでいくという人生の中で、“死因”ではなくて、“死にざま”も同じくらい大事だろうと思うんです。透析を止めるという段階の患者さんはもう、よほど苦しい状態になっています。だから終末期の苦痛をせめて、少しでも何とかしてあげたい。そのためには透析医も今後、鎮静とか麻薬性鎮痛剤の勉強をして、スタンダードに使えるようにしていかないといけないと思います」 * さらに【つづき】〈日本では、「がん以外の患者の死」は今後ますますおざなりになるという「信じがたい未来」〉では、なぜ透析患者には、十分な緩和ケアの体制がとられないのか見ていく。
堀川 惠子(ノンフィクション作家)