1970年代「スーパーカーブーム」はなぜ盛り上がり、そして衰退したのか? 当時の子どもはもう50代? “夢のクルマ”の興奮をもう一度
ブームの絶頂時
スーパーカーブームの絶頂期はおそらく、1977(昭和52)年の春から秋だったと考えられる。各地でスーパーカーショーが加熱し、7月になるとテレビ朝日が『ザ・スーパーカー』というレギュラー情報番組をゴールデンタイムで放送した。 同月、東京12チャンネル(現:テレビ東京)では、『対決!スーパーカークイズ』という視聴者参加型クイズ番組がスタートする。司会は『笑点』(日本テレビ系)の座布団配りになる以前の山田隆夫(現:山田たかお)だった。 さらに8月には東映系で実写映画『サーキットの狼』が公開された。冒頭で触れた4本のアニメ番組の放送が始まったのは同年秋のことである。
ゆっくりと訪れたブーム退潮
アイドルの人気がいつまでも続かないように、スーパーカーブームもやがてトーンダウンしていった。ブームの退潮が明確になったのは1978(昭和53)年になってからだろうか。スーパーカーショーは停滞。上記四つのアニメ番組のうち3本が3月までに終了した。 もともと、これらの作品は権利の問題もあり実在するスーパーカーを登場させることができなかったため、ニーズとズレていた現実もあった。また、ポルシェを用いたカースタントを描いた映画『マッハ’78』が2月に公開されたが、こちらも興行的に惨敗に終わった。『対決!スーパーカークイズ』の司会者・山田隆夫は同年4月に『僕はカウンタックマン』というシングルレコードをリリースしたが、それがヒットチャートの上位を駆け抜けることは……なかった。 同じ1978年には新しい動きがあった。日本の自動車会社「童夢」が、「童夢-零」という試作車をスイスのモーターショーに出品し、日本製スーパーカーとして話題を呼んだのだ。この童夢-零はグッズ展開には成功したが、本体の市販化は実現せず。ブームを再燃させるほどの存在にはならなかった。 『対決!スーパーカークイズ』が「対決!チャレンジクイズ」というノンジャンルのクイズ番組にリニューアルされたのは1979年4月のことだ。『サーキットの狼』の連載もこの年に終わった。 スーパーカーブームは一過性の現象ではあった。しかし、数年間の間に多くの子どもたちが自動車に憧れを抱いたことは、その後の日本の自動車業界に多大なるプラス効果をもたらしたことは間違いない。それは単なる流行ではなく、未来の ・自動車ファン ・自動車業界で働く人 を育むきっかけとなったのだ。あの時代の興奮は、今も多くの人々の心に刻まれている。
ミゾロギ・ダイスケ(懐古系ライター)