「職業の貴賤」の感覚が染みついた人は、自分のために生きられない
「本当の自己」で生きるということ
この価値観の中で根深いのが、職業の貴賤です。 昔、石原慎太郎氏が都知事になった頃、都バスの運転手が定年間際になると年収が1000万円を超すような賃金体系になることを、コテンパンに叩いたことがあります。人の命を預かる職業で、事故もなく、40年以上も働いてきたのですから、1000万円を超すことが悪いとは私には思えないので、かなり腹を立てた記憶があります。 ちょっと勉強ができるだけで医者になると、大学を出たてでも「先生」「先生」と呼ばれ、30歳くらいで年収1000万円にもなるのに、こんなに長い間、まじめに働いてきた人がそのくらいの収入でボロクソに言われることに違和感を覚えたのです。 でも、その石原氏の発言は、公務員のお金の無駄遣いとして、喝采を浴びた気がします。やはり、一般には職業の貴賤の感覚が厳然としてあるのだなと痛感しました。こういう感覚が染みついてしまうと、本当の人生の足かせになることは確かです。 大企業の部長までやったのに介護の仕事なんかとか、運転が好きだからタクシードライバーをやってみたいけど、さすがにそこまで落とせないとか、そういう話は珍しくないでしょう。女性だって、掃除が好きだからお掃除おばちゃんでお金になるのならそれでいいかと思っていても、そうはいかないケースもままありそうです。 趣味にしても高尚な趣味ならいいけど、エロとか下品とかオタクとか言われる趣味には手を出せない人もいる気がします。 「本当の自己」で生きると決めたら、そういう価値観から解放されないと、なかなか偽りの世界から抜け出せないのではないでしょうか? 「かくあるべし思考」というものも自分を縛るものですし、メンタルヘルスにも悪い思考パターンだとされています。「男たるものかくあるべし」とか「年長者はかくあるべし」、「人様に迷惑をかけてはいけない」などという価値観はかなり蔓延しているようです。 新型コロナウイルスが流行ったときに、母親に「コロナにだけはなりたくないな」と言われたので、「マスコミが騒ぐほど怖い病気じゃないよ」と伝えたら「恥ずかしいやろ」という答えにびっくりしたことがあります。感染した人間は、いけないことをした人間で、恥だ、とこの世代の人間は思ったのでしょう。実際、マスコミもそのように報じていました。 同じように地方だと車がないと生活の足がなくなるので、死活問題なのに、歳なんだから免許を返納しないといけないと思って、実際に運転をしなくなる人も多いようです。実は統計学的な根拠はないのです。マスコミが騒ぐため、人に迷惑をかけてはいけないと思ってしまうのでしょう。あるいは、老害と言われるのを恐れる人もたくさんいます。 こういう「かくあるべし思考」から楽になって、生きたいように生きるというのも、本当の人生にとって大切なことなのです。しかし私も精神科医として痛感しているのですが、そんなに簡単なことではなく、社会生活から解放されても、自分の決めたルールに縛られる人は少なくないようです。 「本当の自己」の実現を邪魔するのは、お金の問題とか、年齢による老化ではなく、このように自分を内から縛るもののことが多いようです。相当の意識改革が必要だとわかってください。逆にそれができたということは、周囲からは白い目で見られたとしても、すばらしいことだと私は思います。
和田秀樹(精神科医)