「他人軸」の人生から「自分軸」の人生に

夫の考えによると、終活とは遺された者たちに迷惑をかけないためにするものではない。自分自身が思い残したことに対して思いきってチャレンジできる最後のチャンスなのだ。まだ七十代だから、今後も長生きする可能性は高いが、それとていつまで元気に動き回れるかはわからない。「だって、人間は死ぬまでは生きている」と夫は言う。 当たり前すぎて、思わず噴き出してしまいそうになる。だが実は、私が数年前からぱたりと断捨離をやめてしまった理由がそれなのである。「死ぬまでは生きている」ことを考えると、あれもこれも必要なものばかりで、そう簡単に捨てるわけにはいかなくなったのだ。 夫は更に言う。「生きている間は、十八歳も九十八歳も同じように期限を知らずに生きる方がいい」と。それは、死を逆算すると生きる気力が萎えるかららしい。だが妻は逆算しても生きる気力が萎えたりはしない。積極的に生前整理に精を出しているのだから、感じ方は人それぞれなのだろう。 夫は高校時代の純愛に関連する後悔を思い出し、当時のマドンナに是非とも謝罪したいと考えるようになる。謝罪といえば聞こえはいいが、要は高校時代にやらかしたことを謝ってすっきりしたいだけのことだと私は見た。初恋の美少女への恋慕がいまだに心の中にくすぶっている。本人が気づいているかどうか知らないが、周りから見れば、自分本位の最後の思い出作りにしか見えない。 そんな六十年前の甘酸っぱい青春の思い出を追う夫と、常に現実を直視している妻の逞しさとの対比も読み応えがある。 しかし、物語はここからが本番だ。妻は、夫の若い頃の裏切りを思い出し、自分本位の終活に臨む夫を横目で見るうち、妻も「自分軸」の人生に目覚めていく。 結婚して以降、常に夫や子供の心身の健康を気遣い、自分を犠牲にして生きてきた。つまり、これまでずっと「他人軸」の人生だったのだ。もちろん夫が働き続けてくれたことへの感謝も忘れてはいない。だがここに来て、自分の心の思うままに生きてみたいと思うようになる。そして妻は……。 終盤には思いがけない展開が待っている。序盤の良妻賢母型の礼子からは想像もつかない力強さが発揮される。