山中瑶子監督×河合優実主演「ナミビアの砂漠」、アザービジュアルと著名人コメント公開
世の中も人生もつまらない。やり場のない感情を抱えた21歳のカナは、優しいけれど退屈なホンダから自信家で刺激的なハヤシに乗り換えて新生活を始めるが、次第に追い込まれる──。「あみこ」の山中瑶子監督が河合優実を主演に迎えて描き、第77回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞に輝いた「ナミビアの砂漠」が、9月6日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国で公開。アザービジュアル2種と著名人コメントが到着した。 「ナミビアの砂漠」予告編
〈コメント〉
河合優実さんの表現は魂を救う。 今、だれも言葉にできない、見つめたくない苦しみを、理解しようとする心に満ちているからだ。 画面に映るすべての動きから、とても目が離せない。 ──岸田奈美(作家) とても良かったです!このどうにもならなさ。 これまでの自分の人生のいくつかのシーンを思い出したりして、せつないような、こそばいような。 ──トータス松本(ウルフルズ) 21歳、モラトリアム。どこにいても「またどこかに行けばいいや」と思う。 不安定でも保証が欲しくて、ぶつかって戻って、その繰り返しに安心感すら覚える。 野生的で自分に忠実なカナの姿が、別の世界の私のようで。 ──松本杏奈(スタンフォード大生) 後世の人々は、「2024年は河合優実と山中瑶子監督の時代だった」と語るだろう。 世界は『ナミビアの砂漠』で日本映画の革命を知る。 ──樋口毅宏(小説家) 毎日に靄がかかって退屈でなんか疲れて食事は後回し。カナの虚ろな目が若者のリアルを物語っていました。鑑賞中何度も、私の心の奥底にあるトラウマが蘇ってきそうでハラハラしました。 懐かしいような新しいような、言葉にならない感情。そして、必死に愚直に生きようとするカナの姿はとても美しかったです。 ──PORIN(Awesome City Club, Pii) いま日本で河合さんを山中監督の映画で観れるのは、なんと幸せなことだろう ──ホンマタカシ(写真家) カナの退屈としあわせ、おもしろさ、楽しさ、悲しさ、怒り、虚しさ、ずるさ、愛しさ、それぞれの感情が大小するのに正直に連動するような映像が連なっていくのがすごかったです。 どの感情も「だとしても」とか「だからこそ」という言葉では繋げなくて、どちらかがどちらかを犠牲にしないと両立しないわけがない、どれも手放さないという複雑なカナの状態はすごくまっとうで切実に思えて、それをカナの恋人たちも受け取っていて、手探りに自分たちを愛する彼らに見入りました。 映像や演出、演じること、音、ことば、映画を構成する要素が、たしかだけどよく分からない一体のエネルギーとなってこちらに向かってきて、このような観心地にはそう出会えないと感じ、ずっとおもしろくてうれしい時間でした。 ──柴田聡子(シンガー・ソングライター/詩人) 面白すぎて「私はなにを見ているんだ!?」となる。そんな混沌のひとつひとつを繋ぎ止めているのもカナに他ならない。存在の泉がスクリーンのど真ん中にどかーんと置かれている。 「映画を見ている」この感触が混沌を凌駕する驚異的純度に至る。 ──小原治(ポレポレ東中野『あみこ』上映担当) 日本映画の最終兵器、山中瑶子が長編を完成させた時、歴史が変わるだろうと思っていた。その通りになった。漠とした心情を言葉と肉体で描き切り、行間の深みは文学のそれに匹敵する。未来に向かう傑作。 ──矢田部吉彦(前東京国際映画祭ディレクター) 私はカナを知っている。それに私はかつてカナだったし、今日またカナになりたいと思った。 今1番欲しくて、手に入らないものを差し出される映画体験は甘やかで激しくて、カナの一挙手一投足をもっとずっと見つめていたかった。 公開が続くあいだは、友だちに会いに行くように頻繁に彼女に会いに行きたい。 ──奥浜レイラ(映画・音楽パーソナリティ) 他人事の、あられもない物語だけれど、繊細な本質がなにひとつ欠けていない。 あるところではすでに涙のように流されているのに、いまだ離ればなれで交わされたことのなかった叫びを、もっとも燦然と描きだした映画。 ──五所純子(作家)