生物学者・福岡伸一先生に聞く。ヒトはなぜ、歩くのか?
CHAPTER2|歩きこそ、動的平衡
誰に教わらずとも、ヒトは幼児期に2本の脚で立って自ら歩き始める。でも、物理的に考えるとこれは非常に複雑な運動なのだそう。 「まず2本の脚でじっと立つという行為が難しいんです。カラダの中を血液が循環していたり呼吸をすることで重心が常に揺らいでいるので、常にバランスを取り直さなければならないからです。この動きながらバランスを取ることが生きていることの本質、動的平衡です」 近代哲学の祖・デカルトはかつて生命現象はすべて機械に置き換えることができると説いた。心臓はポンプ、血管はチューブ、筋肉はベルト、関節は滑車…。 生命を構成しているのは静的なパーツで、必要とあらば取り替えが可能。現在の臓器移植や遺伝子操作もこの延長線上にある試みと捉えることができる。 これに対して、生体を構成している分子は常に高速で分解され、食物から摂取した分子に置き換えられている。今の私たちのカラダは分子の流れによって一時的に形づくられたもので、分子的な実体としては、数か月前とはまったく別物である。 この流れを止めないために、私たちは食物を食べ続けなければならない。これが「動的平衡」という考え方だ。 この考え方の鍵となるのは不安定さ。ただ立つという行為にしても、四足動物がどっしり安定しているのに対し、二足歩行のヒトは不安定で頼りない。生後間もない幼児が立ち上がろうとしては何度も尻餅をつくプロセスを見ていれば、それも納得できる。 「立つことは常に不安定な姿勢を保ち続けるということ。さらに歩くという行為は、まさに動的平衡だと私は思うんです。 前に進むためには一歩踏み出さなければならない。その結果、一本脚で立つ瞬間が生まれます。これは立つ以上に不安定な状況。でも敢えて不安定な状態を作り出すことによって、前に進む推進力を生み出す。そして不安定さを回収するために次の一歩を踏み出す。 動的平衡論というのは、生命の秩序を守るために絶えず秩序を壊さなければならないというもの。歩くという行為はまさにそれで、生命の在り方だなと思うんです」 生命というシステムは機械的なパーツに依存しているのではなく、動的平衡の流れがもたらす効果。動きながら常に分解と合成を繰り返し、自分を作り替えているからこそ、環境の変化に適応することが可能になるのだ。 何気なく踏み出したその一歩は秩序を壊しながら次の一歩に繫がり、結果的に秩序を維持していく。生命の営みそのものなのだ。