「自分たちだけでは、どうすることもできない」能登半島地震発生から10か月 石川県輪島市町野町出身のシナリオライターが見つめる“ふるさと”の今
元々歯科医院のあった鈴屋地区の高台から、町野町粟蔵へ場所を移して再建が進められ、10月末の完成が見えてきた矢先のことでした。 家族や親戚だけではどうすることもできない甚大な被害を受けたこの場所にも、たくさんのボランティアの方が訪れてくださり、先日ようやく泥出しと消毒の作業に目処が立ちました。 10/19、広江院長は、「来週から3週間前の状態にようやく戻って、再スタートです。住宅も修繕開始です。本当にたくさんの方に助けていただきました。感謝しかありません。自分は、町野が好きだから、ここで生きていくことしか考えられない。もう一度踏ん張ります。それが、自分ができるみなさんへの恩返しです」と語ってくださいました。 再建の道は容易ではありませんが、それでも前に進むのは、自分のため、地域のためであると広江院長は話します。 ここまでの状態に戻すことが出来たのは、たくさんのみなさまのご支援、お力添えのおかげです。広江院長とご家族の携帯には、ボランティアのみなさまとの笑顔の写真が宝物のように残っています。 ■たくさんの助けが必要 発災から10ヶ月、地震と豪雨の爪痕が残る町野町では、公費解体が再開されるなど復旧が再び加速しはじめています。 土砂災害や土石流、河川の氾濫の影響で、更なる長期避難を余儀なくされている方々、家屋の修繕や建て直しの目処が立たず、再建のための模索を続けている方々もたくさんいらっしゃいます。 そんな地域の人たちを助けようと、町野復興プロジェクト実行委員会さんが、NPO法人カタリバさんのお力を借りて、9/28に輪島市東部地区(町野町・南志見地区)のボランティアセンター(まちなじボラセン)を立ち上げました。 メンバーでもある地域唯一の医師、大石先生は、先日、「自分の庭が綺麗になっているみたいで、気持ちがいい」と言いながら、町野小学校に集積してあった土嚢袋を1人笑顔で黙々と災害ゴミ置き場に運んでいらっしゃいました。