浦和には「厳しさがない」 在籍2年も根付かせた“プロ意識”…元日本代表DFが後輩へ示した背中【コラム】
退場後も取材対応「2枚とも納得がいかない」
2001年1月24日にチッタ監督らの就任会見があり、翌日に井原と3人の外国人選手が加入会見に臨んだ。クラブは井原だけの会見を考えていたが、「監督、外国人選手、僕が別々にやったのではクラブの負担になる。ブラジル人選手と同じ日にしましょう」と自ら提案したのだ。人柄の良さがにじむ楽屋話ではないか。 2月4日から始まった鹿児島県指宿市での強化合宿中、井原を取材する機会が随分あった。そこで発した金言は、浦和の弱点を見事なまでに突いていた。 「マリノスでもジュビロでも、常に優勝を意識しているチームは厳しい姿勢で練習に取り組み、みんなが要求をぶつけ合っていた。今年は優勝しないと駄目だよな、なんて言葉が日常的に聞かれました。入ったばかりの僕が言うのもなんですが、浦和にはそういう厳しさがない」 副主将に指名された井原は開幕戦から先発に名を連ね、3バックの右ストッパーから始まり、4バックの中央、終盤は3バックのリベロに定着。リーグ戦26試合、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)6試合、天皇杯4試合に先発した。 このうちリーグ第4節の古巣横浜FM戦では、2度の警告で前半44分に退場。鹿島アントラーズとのナビスコ杯準々決勝第2戦でも、またもや前半44分に2枚目のイエローカードで退場となった。 退場した選手というのは、早々にチームバスへ乗り込みメディアの前に現れないものだが、井原は違った。2試合とも堂々とした態度で記者の質問に答えている。ただ、鹿島戦はよっぽど悔しかったようで「正当なチャージだと思うので2枚とも納得がいかない」とぼやいた。
坪井の関係性「井原さんに教わりました」
翌年はハンス・オフト監督から主将を任され、一貫して3バックのリベロを担当。10人の才気煥発な新人のうち、井原の背中を見て力を付けたのがDF坪井慶介だ。左後方にいる井原に見守られ、右ストッパーとしてリーグ戦全30試合にフル出場。ふたりはリーグ戦28試合、ナビスコ杯8試合で同じピッチに立った。 磐田時代は静岡県内で家族と暮らしたが、浦和での2年間は寮で若手と一緒に生活。ここで彼らと積極的に触れ合い、自らの豊富な経験を聞かせ助言も授けた。加入2年目の鈴木啓太は「プロの心得を学んだのが一番大きい。日本代表の話も参考になった」と話していた。 2004年第1ステージ第12節の名古屋グランパス戦だ。前半41分、トラップミスで球を奪われた坪井は、突進するマルケスに後方からタックル。得点機会阻止の反則で一発退場となった。浦和は後半の3失点で完敗し、初優勝の可能性が消えた。 「警告は覚悟したが、まさか退場とは……。チームに迷惑を掛けたので気持ちを切り替え、もっといいプレーができるようにしたい」 さすがは井原の高弟だ。へこんでいたはずなのに、報道陣と気丈に向き合った。「こういう時こそしっかり記者と対応することを井原さんに教わりました。プロとはそういうものだと」。すがすがしい態度は井原にそっくりだった。