(年の瀬の)昼下がりに思う、バンド活動と研究活動の共通点【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第83話 バンドのような音楽活動とアカデミアでの研究活動は、実は結構似ているのではないか? 筆者が折に触れて聞いているバンド、「くるり」についての私見を述べながらバンドと研究活動の共通点を探る。 * * * ■『くるりのえいが』 2023年秋のサンフランシスコ出張(54話)の頃に発表されたアルバム『感覚は道標』を聴いたあたりから、折に触れて、日本のバンド「くるり」の曲を聴く機会が増えた。その年、最後の香港出張(64話)のときにも聴いていた。 そんな経緯もあって、2023年の年の瀬、Amazonプライムで『くるりのえいが』という映画を観てみた。伊豆にあるスタジオで、くるりのアルバム『感覚は道標』の制作過程を撮ったドキュメンタリー映画である。 ちなみにくるりは、メンバーの入れ替わりが激しいバンドとしても知られる。結成から20年以上経ったバンドだが、オリジナルメンバーは、ヴォーカル・ギターの岸田繁氏と、ベースの佐藤征史氏のふたりだけである。 その中でも特に出入りが激しいのがドラムス。個人的に興味深いのは、2003年、今から20年前に、ろくに日本語もしゃべれない外国人(アメリカ人)を、正式メンバーとして加入させたのである。 2003年といえば、サッカーの日韓ワールドカップの翌年。20年前、仙台の大学生だった私は、このイベントで韓国という「外国」を初めて意識した。当時の私もくるりを聴いていたが、「ドラマーが外国人になった」ということは知っていても、それについて特に気を留めることはなかった。 「グローバリゼーション」というのは、20年前から叫ばれていたスローガンのひとつである。不惑を過ぎた現在の私でこそそれを実感できるし、政府の打ち出す「インバウンド政策」によって外国人との交流はさほど特別なことではなくなっているし、韓国の誇るK-POPはもはや世界の最先端をいく音楽文化である。 しかし20年前、「仙台の大学生」である私の身からすれば、「外国人(アメリカ人)を正式メンバーとして加える」というのはなかなかに前衛的な出来事のように映ったし、そしてそれは実際、20代後半の日本人メンバーだけで構成されたバンドとしても、なかなかにチャレンジングなことだったのではないかと思う。 閑話休題。『くるりのえいが』で制作過程を撮っている『感覚は道標』というアルバムには、岸田氏、佐藤氏に次ぐもうひとりのオリジナルメンバーである、ドラムスの森信行氏も、サポートメンバーとして参加している。ある意味で「原点回帰」的なニュアンスのあるアルバムで、時間がゆったりと流れる年の瀬に、ビールでも飲みながらそのドキュメンタリーをちょっと観てみよう、と思ったわけである。