「サーフィンに並ぶくらいに宮崎を柔術の聖地にしたい」…地域おこし隊員の経験から思い募り道場開く
ブラジリアン柔術道場代表 倉岡・ジョン・カルロス・博さん(43)
「相手がどう動いてくるかを感じ取って防いでください」 【写真】国スポ柔道団体、ウルフ・アロンが佐賀県代表で初優勝に貢献
今月上旬、宮崎市にあるブラジリアン柔術の道場「ヤウェイ柔術アカデミー」。キレのある動きで生徒に手本を見せながら、ポジション取りのコツを丁寧に教えていた。
世界大会で何度も入賞経験のある実力者。縁もゆかりもない宮崎に移住し、3年程前に道場を開いた。今は「サーフィンに並ぶくらいに、宮崎を柔術の聖地にしたい」と青写真を描く。
日系3世として、ブラジル・サンパウロに生まれた。同国に文化として根付いているブラジリアン柔術に幼い頃から親しんだ。父の仕事の都合で、12歳で愛知県に移住してからはサッカーや野球に打ち込んだが、柔術の面白さが忘れられなかった。
帝京大への進学で上京し、都内の道場の門をたたいた。「大学よりも道場にいる時間の方が長かった」と振り返るほど柔術にのめり込み、国際大会で優勝するほど上達した。卒業後も道場に残り、選手兼指導者として活動した。
結婚し、子どもが生まれた。「自然に囲まれた環境で子育てがしたい」と、2018年に家族を連れて宮崎県小林市へ移住。柔術の第一線からは身を引き、3年間、地域おこし協力隊員として、市の活性化を目指す仕事に従事した。
自然に触れようと、仕事以外で農業や狩猟に挑戦した。農業を学ぶうち、後継者不足に悩む農家が多いことを知り、「努力して培ってきたノウハウがあるのにもったいない」と思った。そして「それは自分にとっての柔術と同じではないか」と気付かされた。
柔術のすばらしさを後世に残していきたいとの思いが募り、22年4月、宮崎市に道場を開いた。小林市と宮崎市を行き来する生活が始まった。
そのころ、双子の兄で柔術家の倉岡・ジョン・パウロ・明さん(43)が加勢してくれることになった。兄は横浜市で運営していた柔術道場を弟子に任せて宮崎市に移住し、指導者に就任した。
現在の道場生は約90人。小学生、会社員、警察官、主婦など様々だ。競技としての柔術だけでなく、ナイフで刺されそうになったときの防ぎ方など護身術への応用も教えている。