多くの人の胸を打った作文は松竹映画「どろんこ天国」の原作に…作者の10歳少女が2年後に非業の死を遂げた驚きの理由
限界に達していた体力
お祭りのあとの、以前よりさらに厳しい現実の生活が逼迫するなかで、A子ちゃんは体調を崩して倒れた。 読者の反応は、早かった。 全国から家族に見舞金が寄せられ、A子ちゃんは、9日後には記者らの斡旋によって東大小石川分院に移され、手厚い看護を受けられるようになった。しかし、少女の体力は限界に達していた。小学校の卒業を目前にひかえた3月29日になって、12年の寿命を終えた。 4人の級友が、新聞社に助けを求めようとしたとき最後まで難色を示した棚橋先生は手記のなかで、「A子を美空ひばりにしたくはなかった」と、メディアへの複雑な心境を吐露している。 だから彼女を「善行少女」として表彰したいという話が、どこかから持ち上がったときは、「怒りさえこみ上がって来た」という。先生はA子ちゃんの葬儀の日に、繰り返し心中で呟いた。 「作文を(コンクールに)出さなかった方があんたのためになったんじゃあないかなあ、なんだか、悪いことをしたなあ」
かあちゃんは、わらっていた
長屋の父と母には、作文のなかにあるような、楽しいひとときの記憶だけが残された。 「母」(全文) 私のかあちゃんは、せんたくやはりものが大すきだ。いつもひまがあると、はりものやせんたくをしている。 だけどかあちゃんは、ちんどんやをしている。 みんなにばかにされるが、私はがまんしている。かあちゃんが、はたをふっているのを私はみて、かあちゃんはむりをしているのだと思うと、かなしくなる。夜、かあちゃんがかえってきて、とうちゃんやかあちゃんたちと、ごはんをたべるのが一番楽しい。かあちゃんは仕事のかえりに、おかしをかってきてくれる。私はうれしい。かあちゃんが、いくらちんどんやをしていても、私のようふくなんかをかうから、むりをしているのだ。 かあちゃんは、はたらくのがいちばんたのしみなのです。仕事からかえって、ごはんをたべおわってねると、かあちゃんは、はりものをしている。私がねむらないでいると、かあちゃんは「はやくねなさい」といった。私がねてからも、かあちゃんははりものをしていた。 その次の日のA、ちんどんやのおじさんが「仕事だよ」といってきた。かあちゃんはうれしくて「はいよう」といった。かあちゃんは、それだけはたらくのがすきです。うれしくてごはんもあまりたべない。かあちゃんはしたくをして「いってくるよう」と、いってしまう。 私はかあちゃんがかえってくるのがまちどおしかった。うちのねいちゃんは、早く、ちんどんやを、やめればいいといっている。ねいちゃんは、みんなにいわれるのがやなのだ、だけど、私は、ちっとも、やではない、かあちゃんはどろぼうなんかしていないのだから、ちっとも、はずかしくはないのだと、おもう、 夜、とうちゃんが「おれが死んだらこのゆびわをかあちゃんにあげる」といった。かあちゃんは、わらっていた。私もわらって、でんきをけして、みんなでねた。私はかあちゃんのおっぱいをしゃぶったら「あかんぼうじゃないんだぞ」ととうちゃんにおこられた。 駒村吉重(こまむら・きちえ) 1968年長野県生まれ。地方新聞記者、建設現場作業員などいくつかの職を経て、1997年から1年半モンゴルに滞在。帰国後から取材・執筆活動に入る。月刊誌《新潮45》に作品を寄稿。2003年『ダッカに帰る日』(集英社)で第1回開高健ノンフィクション賞優秀賞を受賞。 デイリー新潮編集部
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