“非情人事”の裏にあった中日・落合博満監督の意外な素顔…長男・福嗣さんはこう言った「みんなが言うような好き嫌いはないんだよ」
◇増田護コラム~人生流し打ち~ 敵はめっぽう多いが、支持するファンもいる。それが落合博満という人である。エピソードでつづるシリーズ。現役選手の引き際と、監督の思いについて考えます。 落合博満さん、歌手としても活躍していた【写真】 ◇ ◇ 人の引き際はさまざまである。先日、NHKで元中日の抑え投手、岩瀬仁紀さんの特集を見た。故障して登板機会がなく、引退を申し出たところ監督だった落合さんに止められていたという。後悔するぞ、と。 巨人の長嶋茂雄さんの場合は、畳の上に両手をついて「もう1年やらせてください」と川上監督に直訴したそうだ。栄光に傷がつかないよう勇退を勧めた指揮官が折れる形になったが、結局は翌年引退した。 この長嶋さんの引退試合をスタンドで見ていた落合さんは日本ハム時代の1998年に引退した。決意させたのは上田監督の様子だったそうだ。 ある試合の前、上田監督が「きょうどうする? どうする?」と顔色をうかがうように聞いてきたという。スタメンの相談である。やれる自信はあったが、意を酌んだ落合さんが「外れましょうか」と答えると、「そうしてくれるか」とホッとした表情を浮かべたという。これですべてを察したわけだ。 「自分を高く買ってくれるところで野球をやる」と言い、ロッテ、中日、巨人、日本ハムと渡り歩いた主砲。ここで潔くユニフォームを脱ぐのが彼の矜持だったようだ。いろいろな思いが、岩瀬を思いとどまらせた形になった。 戦力を預かる監督業は時には非情な決断を迫られる。元日本ハム監督の栗山英樹さんは実業家だった稲盛和夫さんの言葉を座右の銘にしているそうだ。例えば「大善は非情に似たり」「決断に私心なかりしか」。やめさせられる方は恨むが、組織発展のためには避けられない判断となる。ただ、そこに私心があってはならない、ということだろう。 落合さんは監督就任時に「10%の底上げ」「1年間はトレードもクビもしない」と言った。ただ、「1年たったあとの命乞いは認めない」とも言った。在任中には非情と言われた人事もあった。少し前に話したとき、長男で声優の福嗣さんは父についてこう言った。「嫌っている人はいるよね。でもね、意外かもしれないけどみんなが言うような好き嫌いは(落合さんには)ないんだよ。うちでも悪口言わないし」。監督業は大変なようだ。 さて、落合さんは現役引退後にメガネをかけるようになった。 「不思議なもんでな、引退したとたんにモノがよく見えなくなったんだ。それまで何でもなかったのにな」。あの天才的な打者でさえ、気力が支えていたようだ。 ▼増田護(ますだ・まもる) 1957年生まれ。愛知県出身。中日新聞社に入社後は中日スポーツ記者としてプロ野球は中日、広島を担当。そのほか大相撲、アマチュア野球を担当し、五輪は4大会取材。中日スポーツ報道部長、月刊ドラゴンズ編集長を務めた。
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