「日本の道しるべ」となり得るオランダ盛衰の歴史 没落の原因、英蘭戦争に学べ 中国海軍に対抗し得る防衛力整備が急務
【井上和彦 永田町よ先人に学べ】 資源なき海洋貿易国家 ポルトガルに代わって長崎・出島の住人となったのがオランダだった。 日本はオランダとの200年間の交流から、西洋の最先端の科学技術や医学、何より日本の安全保障にとって最も重要な海軍はオランダから学んだのである。 厳しい鎖国政策を敷く徳川幕府の江戸時代にありながら、オランダとつながっていたことで、西洋事情を知ることができ、かつ西洋の科学技術や、西洋医学などを吸収できた。このことは、後の日本にとって目覚めと発展の機会になったのだ。 だが、その間もオランダは周辺諸国との度重なる戦争によって凋落(ちょうらく)していったのである。 《英仏のオランダたたきがとくに公然と激しくなったのは、第一次英蘭戦争でオランダの政治制度と防衛体制の弱みが露呈されてしまってからである。まさに「富は嫉視(しっし=ねたみ憎む気持で見ること)を招き、弱さは侮蔑を招いた」のである》(岡崎久彦著『繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える』文藝春秋) この「オランダ」を「日本」に置き換えてみると、現代の日本そのものであり、ここに現代の日本が学ぶべき教訓がある。資源がなく貿易立国の日蘭両国には、驚くほど相通ずるものがあったのだ。 元外交官で駐タイ日本大使を務めた岡崎氏は、英国人のエリス・バーカーが1906年に著した『オランダの興亡』などを徹底的に分析して、前出の著書『繁栄と衰退と』で、以下のように見事に分析している。 《バーカーはオランダの衰退の最大の理由として、武事を閑却(かんきゃく)したことのほかに、国内の闘争が中央権力の弱体化を招いたことを挙げている》 「武事の閑却」、つまり軍事力をおざなりにし、「国内の闘争」そして先に紹介した「経済発展に対する嫉妬」…まさしく現代の日本の内外情勢そのものではないか。 なるほど、資源もなく外国との貿易に頼る海洋国家にとって、「海軍力の戦力差」は国の存亡にかかわる大きな問題である。英蘭戦争に学べば、日本は、増強著しい中国海軍に対抗し得る、防衛力の整備が急務であることがよく分かる。 そして、岡崎氏は、オランダ没落の原因となった数次にわたる英蘭戦争について、こう指摘する。