福島の海沿いに巨大な「菜の花迷路」を作り続ける思い
福島県の海の近くに、この時期、黄色に染まる一画があります。16日からは、子どもの笑顔と歓声が加わります。それは、菜の花で作った大きな迷路。昨年は連日約1000人が訪れた「名所」です。その中にぽつんと建つ一軒の家。男性にはある決意がありました。 【写真】警戒区域解除「線量管理は自己責任」 震災から3年の富岡町ルポ(上)
子どももお年寄りも楽しみな場所
「菜の花迷路」は4コースあり、無料で楽しめます。昨年より1コース増えました。 実際に歩いてみました。黄色の色と香りが体全体を包みこみます。ミツバチもたくさん花に寄ってきます。感想は「意外と広い」。途中で「ざんねん!」と書かれた看板に出会うと行き止まり。「くやしい!」と本気で思います。 菜の花はいま、子どもの背丈ほどの高さです。「子どもがすっぽり隠れるほどこれから伸びますよ」とのこと。大人も子どもも、ゆっくり1時間は楽しめます。 迷路はすべて手作りです。畑に一粒ずつ、ボランティアが種をまきました。その後、通路となる部分の花を1つずつ引き抜いて、迷路の形を作り上げます。2週間かける「大作」です。 迷路の中のジャングルジムに上がると、全体像が少し分かります。さらに、満開時に上空からみると、コースごとの「秘密の絵」が浮かび上がるそうです。 デイサービスに通うお年寄りも、市内3か所から毎日のように見にくるそうです。地域のみんなが楽しみにしています。今回で4年目の迷路となりました。
「さびしくてしょうがなかった」
5年前の3月11日、南相馬市萱浜(かいばま)の上野敬幸さん(43)は、父(当時63歳)、母(同60歳)、長女(同8歳)、長男(同3歳)の4人が津波にのまれました。母と長女の遺体は見つかりましたが、父と長男の2人は、いまも見つかりません。 自宅は、福島第1原発から北に約22キロの地点。30キロ圏内なので、津波と原発の「複合災害」に直面しました。 家や田畑が連なった静かな集落は、一気にがれきで埋め尽くされました。自衛隊の捜索が始まったのは、発生から40日も経った4月中旬。最初は、消防団仲間などと自力で探さざるを得ませんでした。放射能と戦いながら、近所の遺体をいくつも抱き上げました。 夜は、漆黒の闇に変わってしまいました。 「さびしくて、さびしくて、しょうがなくて」。上野さんは「何かできないかと思い、花を植えようというのがスタート」といいます。2011年に植えた苗は、翌年花を咲かせました。「みんなが笑いあえるところにします」とメッセージを込めたイルミネーションも始めました。 菜の花で迷路を作りました。子どもたちが笑いながら楽しんでいました。上野さんの気持ちは変わりました。「子どもの笑顔で安心させたい」との気持ちが強まります。