「思っている以上にウクライナは日本を評価していた」 前駐ウクライナ大使が明かす開戦時のリアルとゼレンスキーの卓越した能力
日本人が思っている以上にウクライナで高い評価
先ほど「地理的な距離」と「心理的な距離」の話をしましたが、これは逆もしかりなんです。つまり、心理的な距離が縮まれば地理的な距離は克服できることがある。 確かに今回の戦争があるまでウクライナにとっても日本はあまたある「外国」の一つに過ぎなかった。ところが、そんな「one of them」でしかなかった日本が、開戦後、いの一番に「法の支配に基づく国際秩序を一方的に武力で蔑ろにした」とロシアを断罪したわけです。開戦直後、ヨーロッパでは依然として「旧ソ連の内輪もめ」「単なる領土紛争」と事実を矮小化する声もあった。そんな中、遠く離れた日本から突然上がった「今日のウクライナは明日の東アジア」という連帯の声は日本人が思っている以上にウクライナで高い評価がなされていました。日本では、湾岸戦争の頃にあった「カネは出すが血は流さない」という批判がトラウマのように染みついていますが、少なくとも私の在任中、ウクライナでそのようなことを言われた経験は一度もありません。
「日本にしかできないこと」とは?
「支援」と一口にいっても軍事支援、財政支援、人道支援、さらには有事後の復旧・復興支援とさまざまなチャンネルがあります。軍事支援も、最初の頃は「とにかく武器、弾薬」なんですが、次第に国内の軍需産業の基盤が整ってくると「工作機械の方がありがたい」と需要の中身がシフトしていく。また財政支援も「自国の景気が悪いのに他国にカネを渡すのか」と批判されがちですが、実はかなりの部分はローンなんです。つまり返済してもらうことが前提になっています。 多様な支援のチャンネルの中で、まずはウクライナのニーズを確定する。そして、それに合わせて国際社会が「ウチはこれが出せる」「アンタの国はこれを出して」とそれぞれの国力やウクライナとの関係を踏まえて調整を行うわけです。 そのうえで、日本がウクライナから今後もっとも期待され、かつ、日本にしかできないことがあるとすれば、それは「経験の伝授」ということになると思います。