ニーチェ『道徳の系譜学』では明らかにされなかった人類の”道徳的価値観”の起源…気鋭の哲学者が学際的アプローチで「人類500万年の謎」に挑む!
人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。 【漫画】「悪魔の子の証だよ!」新興宗教にハマった母親が娘に言い放った信じ難い一言 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか? オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行される。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第1回
ニーチェが明かした“恥ずべき起源”?
モラルを、そしてモラルにともなう謎と矛盾を理解するには、その起源を知らなければならないという考え方自体は新しいものではない。 哲学者としてこの問題に取り組み、大きな成果を挙げたのはフリードリヒ・ニーチェだ。ニーチェはモラルの起源の探究を先祖研究に見立てて「系譜学」と呼んだ。 ニーチェはほかの誰よりも、論述と事実だけでは人の心を変えることができないと理解していた。 ニーチェの『道徳の系譜学』では、強者や美しく高貴な者に対するルサンチマンの毒に冒された弱者や貧困者が、あらゆる価値の再評価を実現する様子を描いている。 この奴隷の反乱物語は、私たちに道徳的「偏見」に対する疑念を促すことが目的だった。ニーチェは自らの道徳批判を前向きな代替案に置き換え、寛大さ、誇り、肯定的な創造性という非奴隷側の価値観を基準とする道徳について論じた。 ニーチェは1887年に発表した『道徳の系譜学』で、「良い」と「悪い」という価値観を「善」と「悪」で置き換えることは「畜群道徳〔訳注:ニーチェは、自分で考えようとせずただ権威に追従する大衆を畜群と呼んだ〕」を巧みに強制するやり方だと説いた。 かつて権利を奪われた者や弱者は、畜群道徳を用いて高貴な強者を心理的に攻撃し、彼らに過ちを愛すべきこと、疲弊を価値あることと混同させるのに成功したのである。畜群道徳は、人の道徳的良心は公平に道徳的義務を思い出させる内なる声などではなく、残虐な衝動の内面化に由来していると証明しようとし、自己否定という道徳的禁欲を退廃および命の敵視の兆候として否定する。 しかし、道徳の起源に関するニーチェの説明には大きな問題点がある。正しくないのだ。ニーチェの時代に支配的だったキリスト教の価値規範、つまり慎みと平等、謙虚さと共感は弱者の無力感と自己嫌悪から生まれたとする主張も、強者の華やかさに対する弱者の怒りやくすぶる軽蔑が命を敵視する価値観の発明につながったとする主張も、歴史的には証明できない。 まだわかっていないことがたくさんあるが、道徳の起源をどう問うべきか、そしてその答えはどんなものになるかは、かなり正確にわかってきた。 ただし、そのためにはニーチェがやったよりもはるか昔にまでさかのぼる必要がある。古代の世俗的で貴族的・英雄的な倫理観や、同情、謙虚さ、罪、諦念、あの世の存在などを強調するようになった中世初期のキリスト教ばかりに注目してはいけない。 代わりに、人間の道徳の誕生というもっと根源的な問題に目を向ける必要がある。それをやって初めて、私たちは自分の価値観を、価値観を具現化し時代とともに変化してきた社会構造を、理解できるようになるだろう。
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