韓国・尹大統領 なぜ戒厳に突き進んだのか? ワケを探ると見えてきた「孤独な権力者」の極地
■“イエスマン”ばかりの側近
いわゆる“イエスマン”ばかりで固められていたといわれる尹大統領の側近。人事では「お友達」ばかりが抜てきされたという。自らの“本籍”である検察出身者や同窓生らが重用されてきた。 さらに、苦言を言う人は遠ざけられ、次第に尹大統領にとって聞き心地の良いことばかりを言う関係者のみが側近に残っていった。 こうしたことから、尹大統領は「自分のやっていることは間違いない」と信じやすい環境に陥っていたと指摘されている。 さらに、災いになったとみられるのが、尹大統領の意志が強いとされる“性格”だ。
■頑固な性格が災いか
尹大統領と直接やりとりしたことのある外交関係者は、その性格について「頑固で、ぶれることがない」と分析している。「自分の考えに信念を持っていて、一度決めると周りの意見に左右されることなく、ぶれることがない」というのだ。 その典型ともされるのが、「日韓の関係改善」だ。冷え込んでいた関係の改善に向け、慎重に事を運ぼうとする周囲に対し、トップダウンで関係改善にシフトすると決断。懸案となっていた、いわゆる元徴用工問題をめぐり、韓国政府の財団が賠償を肩代わりする第三者弁済を決めた。 結果として、首脳間のシャトル外交も再開するなど、冷却していた関係は大幅に緩和された。 一方、「頑固で、ぶれることがない」性格は、逆説的に捉えると「周囲の意見は聞き入れない」ということにもなる。つまり、強みとも言える一面が、実は災いとなったことが浮き彫りになってきている。 2024年5月ごろから、本格的に戒厳を考え始めたという尹大統領。その意向を漏れ聞いた韓国軍の幹部は、反対する考えを伝えたという。しかし、その後も尹大統領の意志は変わることがなかった。 戒厳を宣言する直前、韓国大統領府に集まった首相や外相ら10人以上の閣僚は、全員が反対の意思を示したことが明らかになっている。 断続的に1時間以上続いた大統領への説得。中には懇願して思い直すよう伝えた閣僚もいたという。しかし、尹大統領は「私の判断で行うものだ」として、決して主張を曲げなかったという。 良い側面もあった頑固さが“最悪な方向”に働いた形だ。 極端な考えに傾倒し、それを止める力のある側近もおらず、そして最後の制止さえ、はねのけた。周りが見えなくなった「孤独な権力者」の極地だったとも言えそうだ。 2025年、尹大統領をめぐる弾劾審判や捜査は本格化する。孤独な権力者は一体何を語るのか。世界が、かたずをのんで見守っている。