「死んだら作品を焼却してほしい…」ひとりの芸術家を殺した戦争
「死んだら焼却を…」戦争が殺したひとりの画家
秀雄さんが実家へ送った最後の手紙はラバウルからだった。作品を故郷に送り続けてきた秀雄さんの最後の言葉は鉛筆でこう綴られていた。 「私が死んだら過去の芸術作品の一切をご焼却願います。遺稿集など出してくださいますな。芸術家として死ぬよりも一個の平凡な兵隊として死んだ方が尊いことであります」 それでも作品は家族によって大切に保管されてきた。戦後60年に約束を破って遺作展を実施した昭二さんは、便せん3枚に叔父への思いをしたためて遺骨収集団に託した。秀雄さんが亡くなったブーゲンビル島で手紙を燃やしてもらった。 「遺作展をして約束を破ったことを謝りました。でも全部焼却してくれというのは絶対に本心じゃなかったはずでしょうと書きましたね」 戦後78年が経つ今は菊池市の菊池飛行場ミュージアムに秀雄さんの絵が展示されている。笠秀雄という画家がこの世に存在していたという証をきっと残したかったはずだと信じて…。 「作品が永遠に残れば、なおよかろうというふうな思いの人たちが芸術家じゃないかなと思うんですよね。死んだら全部なくなってしまったじゃ、あまりにも虚しいものですよね。だから私はそういうふうに叔父の気持ちを勝手に想像しながら、今こういう活動を続けています。弔いのひとつでもあるかな」 ※2023年に取材した記事を再投稿したものです。