【竹澤健介の視点】「記録」と「勝負」の両方を目指す難しさ感じたレース 伊藤達彦の復活は男子長距離の起爆剤に
新潟・デンカビッグスワンスタジアムで行われた第108回日本選手権男子5000m決勝。伊藤達彦(Honda)が日本歴代7位、大会新の13分13秒56でこの種目初優勝を飾り、4位までが13分20秒を切る好レースが繰り広げられた。2008年北京五輪5000m、10000m代表の竹澤健介さん(摂南大ヘッドコーチ)に、レースを振り返ったもらった。 【動画】伊藤達彦が強烈スパート!男子5000mの残り600mからをチェック! ◇ ◇ ◇ 五輪出場のために「記録」を狙わないといけない選手、日本選手権として「勝負」に懸ける選手。同じレースでありながら、違うチャレンジが同居するというレースの難しさを感じました。 記録を目指してペースメーカー役の選手が入り、序盤から速い流れになりましたが、それについていくか、控えるか。日本一を決めるレースでどう判断するかは、本当に難しい。また、レースは“生き物”ですから、必ずしも狙い通りにいくわけではありません。 ただ、一つ言えることは、序盤で遠藤日向選手(住友電工)がレースを作らなければ、これほどタイムが出ることはなかっただろうということです。 優勝した伊藤達彦選手(Honda)の、ラストの強さは本当に見事でした。600mで前に出て、500mから突き放す。私もそうでしたし、他の選手の思いもよらないタイミングだったと思いますが、その感覚は天性のものと言えるでしょう。 五輪につながらない結果ではありますが、自身のキャリアとしてしっかりと先を考えて臨んだレースで、伊藤選手らしいアグレッシブな走り。“復活”を強く印象付けるもので、男子長距離界にとって今後への起爆剤になるのではないでしょうか。今後の彼の走りからは目が離せなくなりそうです。 2位の森凪也選手(Honda)が日本歴代10位の13分16秒76、3位の鈴木芽吹選手(トヨタ自動車)が13分17秒75の自己新、4位の鶴川正也選手(青学大)が屋外日本人学生最高の13分18秒51と、4位までが13分20秒を切りました。全体的には、やはり勝負を選択して序盤は後方に待機し、徐々にポジションを上げていった選手たちが上位に来た印象です。 遠藤選手、塩尻和也選手(富士通)はパリ五輪出場のために、ワールドランキングの位置から、13分10秒切りでの勝ち負けを求められる状況でした。タイムと勝負、両方を追わないといけないレースは、本当に難しいものです。 ただ、そういう状況を作ってしまったことも、考えないといけません。この大会を迎えるまでに、五輪を狙える位置を確保できていれば、勝負を目標にすることができ、レース展開も変わっていたでしょう。 そういったことを考えると、5000mは「12分台」を真剣に目指していく必要性を感じます。今回の記録に関しても、世界と比較した場合にその価値が果たしてどんなものかは、冷静に捉える必要があるでしょう。 シューズが進化し、海外勢は確実にそこにアジャストしています。日本も記録水準は確かに上がっていますが、世界と記録を比較した時にその差が縮まっていると言えるのか。大迫傑選手(Nike)が2015年に出した日本記録(13分08秒40)は、当時は世界と勝負を挑める価値がありましたが、今の時代の13分08秒は世界では当たり前の水準です。 今の世界水準をしっかりと認識し、そこに勝負を挑むためにはどうすればいいのか。世界大会に出場するための戦略は、確かに標準記録突破を目指すか、ワールドランキングのポイントを獲得を目指すかの2つがあります。ただ、「戦う」という観点では、1人でも多くの参加標準記録、さらには12分台を狙える選手を、日本全体で作っていくこと。そこにチャレンジしていく必要があると感じます。 ◎竹澤健介(たけざわ・けんすけ) 摂南大陸上競技部ヘッドコーチ。早大3年時の2007年に大阪世界選手権10000m、同4年時の08年北京五輪5000m、10000mに出場。箱根駅伝では2年時から3年連続区間賞を獲得した。日本選手権はエスビー食品時代の10年に10000mで優勝している。自己ベストは500m13分19秒00、10000m27分45秒59。
月陸編集部