平成の将棋史(下)戦術進化とAI 「藤井フィーバー」の衝撃
平成の終わりまで残り約2か月半。将棋界は羽生善治九段の27年ぶりの無冠や、8大タイトルを7棋士が分け合う「戦国時代」を誰が抜け出すかなど、話題が続いています。元「週刊将棋」編集長の古作登氏(大阪商業大学アミューズメント産業研究所主任研究員)とともに「平成のプロ将棋界を振り返る」シリーズ後編は「序盤戦術の進化とAI(人工知能)の衝撃。さらに中学生棋士、藤井聡太フィーバー」を取り上げます。 【年表】平成の将棋史(上)前人未到の七冠独占 「羽生世代」の席巻
「藤井システム」に「ゴキゲン中飛車」
平成に入って将棋界に大きな影響を与えた戦法として、古作さんは、振り飛車(ふりびしゃ)では「藤井システム」、居飛車(いびしゃ)では「横歩取り8五飛」を挙げます。 昭和後期は、居飛車側が自玉をしっかり固める「居飛車穴熊」や「左美濃(ひだりみの)戦法」の持久戦対策に振り飛車側が苦慮し、平成に入っても振り飛車を採用する棋士が減っていました。その中で、平成10年(1998年)に藤井猛九段が「藤井システム」を駆使して、当時の谷川浩司竜王を4勝0敗のストレートで撃破。以後、竜王位を三連覇したことで、プロ・アマで流行戦法となりました。 「藤井システム」は居飛車側の出方に対応し、持久戦で来れば、振り飛車側は自分の玉将の囲いを後回しし、速攻を仕掛ける一方、居飛車側が急戦なら自玉を整備し、振り飛車側の玉の堅さの優位性で戦う柔軟性が強みでした。 古作さんは「振り飛車が天下を取るのが難しいと思われていた時期。初期の藤井システムはほとんど作戦勝ちし、圧勝する将棋が目立った。昔の将棋は組み合ってから力を出し合おうという機運があったが、藤井システムは先に端の歩兵を突くのか後に回すのかなど、序盤の一手一手の組み合わせがシビア。相手の選択肢をどう狭めていき、ポイントを挙げていくかというように、藤井システムが序盤を変えたのではないか」と指摘します。 居飛車の持久戦をけん制する意味で、それまで受け身がちだった後手番中飛車側が積極的に攻めを見せる「ゴキゲン中飛車」も平成の中頃から流行。こちらも序盤から研究手が飛び交う将棋が目立ちました。 「横歩取り8五飛(中座飛車)」戦法は、後手番が苦しいとみられていた横歩取り戦法で、飛車の居場所を従来より一段高い五段目に置いて攻めを見せるものでした。 平成9(1997)年に、中座真七段が初めて実戦で投入しました。その後、居飛車党棋士が優秀性に注目し、次々と採用。高い勝率を得ます。特に丸山忠久九段が平成11(1999)年のA級順位戦において、後手番で中座飛車を次々採用して挑戦権を獲得。翌年の名人戦でも投入し、名人を獲得しています。また渡辺明棋王も竜王連覇時代、この戦法を得意としていました。「横歩取りは一手で勝敗が決する戦型。研究を深めることがタイトルにつながると棋士に感じさせた。こちらも序盤に影響を与えた戦法だろう」(古作氏)。