「向上心という言葉が嫌い」 60代元博報堂社員が嘆く、経済成長を味わった昭和世代の功罪
成長とは、絵の具の色数が増えること
私の人生を振り返っても、「成長」を実感できたことはほとんどありません。 この年齢になったから、後付けで「成長」したようなことを言っていますが、そのときは、ただ悶々として、ジタバタしているだけでした。向上心をもって、事にあたり、成功した体験などほぼありません。 成績がよかったり、儲かったりしたときもあったけれど、それを「成長」なんて感じることはなく、「まぐれ」くらいにしか思えませんでした。 ただ、感じるのは、向上心をもとうがもたなかろうが、失敗しようが成功しようが、何かをやれば、さまざまな感情が起きます。挫折、悔恨、あきらめ、喜び、感謝、反省、有頂天、友情、愛情、孤独......まるでパレットの上にチューブから絵の具が出されるようにさまざまな色彩が増えていきます。 成長というものは、この色彩が増えていく感覚を言うのではないかと、最近私は思い始めています。感情を織りなす絵の具の色が増えていく。 それで、人の気持ちがわかるようになる。 自分に湧き上がった感情を、過去の色と比べることができる。 こんなふうに、人と自分を理解するための色彩が増えることを「成長」と言いたいものです。 どんなに向上心が高くても、それが赤一色に染まったものでしかなければ、あまりに単純です。相手の心情など理解できないでしょう。 あなたにも、「成長」とは、心の色数を増やすことだと考えてもらえるとうれしいです。そうすれば、美しい海を見ることも、ハラハラドキドキする映画を見ることもみんな「成長」につながる。それでいいのではないでしょうか。
「向上心がない」というレッテルを剥がそう
最後に、「向上心」について書きます。 先述の学生が書いたように、この時代は、色々な問題が絶えず降ってきます。パンデミック、戦争、大災害、政治腐敗、経済危機......そんなことが日常茶飯で起き、誰も彼もがアップアップなのが現状ではないでしょうか。 降ってきた問題に直面する。これはもう立派な「向上」です。 「向上心」なんてなくていい。答えを出さなくてもいい。ジタバタしているだけで、私たちは、立派にこの理不尽な世界と戦い、価値ある人間になっているのですから。 私は、向上心という言葉が嫌いです。 「向上心がない」――なくてもいいじゃないか! 一生、ジタバタ。これでいいと思っています。 あなたの心のパレットがきれいな色でいっぱいになりますように。
ひきたよしあき(スピーチライター、コミュニケーションコンサルタント)