パリ・パラ閉幕:偏見とバイアスからの解放 「障害者のスポーツ」を超えて
西岡 千史
9月8日、パリ・パラリンピックが閉幕した。シドニー大会から24年にわたりパラ競技を撮影し続けてきたフォトグラファー、越智貴雄さんは「パラリンピックは、パリで偏見とバイアスから解放され、新しい時代に入った」と見る。越智さんは、パリでの撮影取材を通し何を感じ取ったのか。過去の取材経験を踏まえて語ってもらった。
異なるレベルの大会
国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長は、閉会式前の記者会見で「パリ大会は今後のベンチマーク(基準)になる。運営のすべてにおいて、レベルがとても高かった」と自画自賛した。そう言いたくなるのも理解できるほど、これまでとは異なるレベルの大会だった。
驚かされたことがある。ロンドンから東京までの3大会は競技会場で、大型ビジョンなどで複雑な障害のクラス分けをわかりやすく説明し、観客の理解を促していた。だが、パリは障害クラスを説明せず、競技をありのままに見せた。絵画鑑賞で言うなら、作者名もキャプションもない状態で、いきなり作品を見て感じたままを楽しむ方式だ。
観客から「障害者が頑張っている」という拍手は感じなかった。純粋に競技を楽しんでいる人が多く、パラアスリートを「表現者」としてリスペクトする雰囲気があった。パラリンピックと五輪は違うが、ただその「違うもの」の中には「健常者と障害者」というわれわれの側のバイアスに基づくものがある。それを極力排除することにも、パリは注力していた。
無数のわだちから感じ取ったもの
車いすテニスは、一般テニスの全仏オープンと同じローランギャロスで開かれた。グランドスラム大会で唯一、レンガの粉となる赤土クレーコートを採用している伝統あるこのコートで、車いすの「わだち」をどう撮影できるのか、楽しみにしていた。 決勝は、18歳の小田凱人選手と英国のアルフィー・ヒューエット選手。私はあえて選手に一番近いコート近くのカメラマン席から離れ、観客席の最上階にあるフォトポジションで撮影することにした。 車いすが残すわだちの軌跡が最も良く見渡せるのが、観客席だったからだ。 小田選手はヒューエット選手にマッチポイントまで追い詰められたが、そこから奇跡の逆転をして金メダルに輝いた。勝利の瞬間、小田選手はクレーコートに倒れ込んで喜びを爆発させた。私は狙い通りの瞬間をファインダー越しで眺めながら無我夢中で撮影した。 試合後、撮影した写真を見て、私は大きな誤解を抱いていたことに気付かされた。 実は私は、パラアスリートが困難を抱えながらも前に進んできた軌跡を、クレーコートのわだちで抽象的に表現しようとしていた。だが、実際に写真に写っていたのは、2人の「選手」の激闘の痕跡そのものだった。 つまり、コートには「パラアスリート」の困難さなどではなく、純粋に「アスリート」の戦いの軌跡が残されていたのだ。シンプルに考えれば当たり前のことだが、写真を見返しながら、素晴らしい試合に引き込まれていた自分に気付かされた。 私だけではない。満席のスタジアムで、歴史的な試合を「障害者のスポーツ」として見た人はいなかっただろう。そうでなければ、あの盛り上がりは生まれなかったはずだ。パラアスリートが、五輪のアスリートと差別されることなく扱われる時代がすでに来ていると、私は確信した。